名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

”日本”の大学で「学ぶ」ということ

どうもどうも、ご無沙汰しております。

 

久方ぶりの更新です。読者のみなさん、大変お待たせしました。

 

 

最近はめっきり”秋の長雨”らしく、パッとしない天気が続いていて、

夏の終わりをひしひしと感じています。

 

 

みなさん夏を楽しめましたか?

 

僕は働いてた思い出が強めです。

 

僕の話はどうでもいいですね。 

というわけで、早速本題に入らせていただこうかと思います。

 

今回は「日本の大学で『学ぶ』ということ」

 

これは今夏の最大のテーマでもあって、8月くらいからずっと考えたり資料読んだりしてました。(文章化が遅れて申し訳ないです)

 

 

みなさんは、大学をどのように捉えてますか?

 

 

”とりあえず適当に通って、卒業して、いい会社入るための踏み台”

とか

”サークルとかで、友達恋人作る場所!”

とか

あくまで自分の偏見な部分があるので何とも言えませんが、ほとんどの人が最初に挙げたた

”いい会社(大企業)入るための踏み台”

なんて、考えているのではないですか?

 

先日、こんな話を聞きました。

 

「大学の学園祭を運営する運営委員会に入ってます。そこは申し込んだら必ず属せるというわけではなく、人数が多いため、抽選制にしています。

その倍率は何十倍、下手したら100倍近くまでいくみたいな話を聞きました。

もちろん私は、高校の時も文化祭実行委員やったりしてたから、大学のもやってみようかなっていう気持ちもあったのですが、実は先輩からこういう話を聞いちゃって…。

 

『この学園祭の実行委員をやってたっていうと、結構就職しやすいらしいよ?先輩もみんな一流企業の就職決まったっていうし。』

 

だから、口は悪いですけど、半分就職目当てなところもあります。

たぶん他の人も同様の話を聞いて応募したから、とても倍率が高いんだと思います。」

 

これには私も驚きました。

生活のほとんどが”就職”を意識した行動になっているということにです。

 

ここで僕が言いたいのは、本当にそれでいいのですか? ということ。

 

何のために授業を選び、単位を取り、卒業するのか。

 

いわゆる”楽単”と呼ばれ、興味が無くても簡単に単位が取れる授業ばかり履修することを考えていませんか?

 

私がここで言いたいのは、楽単じゃなく、リベラルアーツ的な勉強をしてはどうか、ということです。

 

こんなこというのは正直申し訳ないし、これがきっかけでTwitterをブロックされても自己責任なんですが、少しだけ脱線させていただきたいと思います。

 

うちの大学にも他の大学と同様、いろんなサークルがあります。

 

前に述べた美術館巡り部から普通のテニスサークルまで。

 

その中で、同じ1年生が立ち上げたサークルがあるんですね。

 

そのサークルの活動の一環で、大学の授業に関するアンケートフォームが私の元へも回ってきました。

 

上から目線な評価でこれまた申し訳ないのですが、企画自体はとても斬新なものだと思いました。

ただ、これは”楽単”を見つけ出す作業のような気がします。

 

決して私は楽単を取るなとは言いません。単位を効率的に取って卒業し、就職してください。

 

では本筋に。

 そもそもうちの大学でやっている「全学カリキュラム」は他の大学でも同様の制度が取られ、一般教養科目、略して”パンキョー”なんて蔑称がついています。

 

これは海外のリベラルアーツ教育を取り入れようという動きの中でできた制度です。

うちのホームページでは、このような紹介となっています。

専門分野の枠を超えた幅広い知識と教養、総合的な判断力と優れた人間性を養うことを目的とした、全学部の学生を対象に、全学部によって運営される共通のカリキュラムであり、まさに「リベラルアーツの立教」を具現化する、大学教育のあたらしい「かたち」と言えるでしょう。

 

全学共通カリキュラムでは、このようなリベラル・アーツ教育を「教養ある専門人の育成」ではなく、「専門性にある教養人の育成」を目指すものとして位置付けられています。

 

最後の部分、「教養ある専門人の育成」ではなく、「専門性にある教養人の育成」というところ。

 

僕が思うに、前提が間違ってる気がするんですよね。

これ、逆ではないのかと。

 

日本国内で数えるほどしかない”海外式の”リベラルアーツ教育を行っている、東京大学を例にとって考えてみたい。

 

東京大学は、入学後2年間、全学生が教養学部という学部で学び、その成績如何で類型に沿った進路振り分けが行われます。

ただ、特徴なのは、入った類型に囚われることなく、進振りの段階で文系の理転・理系の文転が可能になっているということです。

 

これが日本の最高峰高等教育機関なのです。

 

 自分の専攻(メジャー)を選ぶ前に、文系理系の区別なく様々な授業で学んでいます。

 

元々理科3類で入学してきた学生が、大学では「不敬文学」についての授業を受けている、なんて光景がよく目に入るそうです。

 

そして、そのような生徒に限って、面白いレポートを執筆してくるというのです。

 

 

ここからは、少し日本の大学制度についての批判を書かせていただきます。

 

そもそも、「〇〇学部」というのがあるのは日本くらいです。

 

では、海外は?というと、学部はありません。

 

入試制度自体も、〇〇大学△△学部の試験を受ける、というよりも、大学自体に入学するために試験を受けるといった制度です。

 

例えばドイツでは、「アビトゥーア」というギムナジウム(日本でいう高校的な、本来は8年間一貫の中等教育機関)の卒業試験を合格することで、原則どの大学にも(行こうと思えばベルリン大学にも!)行けるという制度になっています。

 

入学後は、大筋2年間の基礎科目を履修したのち専攻を決めるという制度で、東大やICUが同様の制度を取っています(2回目)

 

なぜ大きく遠回りするのかと言えば、そうすることで、幅広い見地を身につけることができて、物事を多角的に考える力が身につくからなのでしょう。

 

さっきからリベラルアーツリベラルアーツって、具体的に何を学んでるの??って方もいると思うので、話します。

 

リベラルアーツは「三学四科」を学ぶことが源流となっています。

三学とは、「文法学」「論理学」「修辞学」

四科とは、「幾何学」「算術」「天文学」「音楽」

です。

 

そこには文系理系という区別はありません。

そもそも海外では「経済学」は”理系”ですし、心理学も”理系”です。

 

海外での唯一の区分である”arts&science"のartsとは、「人工物」つまり、人によって作られた世界を紐解く学問というわけです。(だから”arts”)

人工の反対は、自然。神が作った世界のありのままの、”nature”の姿を紐解く学問というのがここに当てはまります。(だから”science”)

 

僕の考えとしては、日本の大学も同様の仕組みにしてみたらどうなのかな、と考えています。

 

2学期に入って、益々次のような話を聞くことが多くなりました。

 

「経済学部やめたい」

 

いや、まぁ辞めてもいいんじゃない?とは思うんですが、今回はそういうことではなくて、この言葉にすべてが詰まってるといっても過言ではないのか、と思うのです。

 

つまり、「学部の枠にとらわれて勉強したくない」ということです。

 

受験生のころ、あなたは学校とかで「進路はどうしますか」って聞かれたことがあると思います。

その時一緒に「将来何になりたいの」って聞かれませんでしたか?

 

あなたはその時、どう答えましたか?

 

もし、なりたい将来が描けているなら、そこだけに一直線に向かうだけでなく、少し大学で回り道していろんな世界に触れてからもう一回考え直してみてほしいです。

 

もし、なりたい将来が描けてないんだったら、尚更いろんな世界に触れて進路を考えてほしいのです。

 

その為に必要なのが、真のリベラル・アーツ教育なのです。

 

その為に必要なのが、「学部の解体」「入試制度改革」なのです。

 

少し前に「文系学部不要論」が話題になりましたが、いっそのこと全学部不要にしてみてはどうなのでしょうか、と日本の大学に問いたいです。

 

実は今一人リベラルアーツをやってます。

 

一応なりたい職業とかは決まってるんですけど、それだけやるのももったいないと思って色々回り道してます。

 

きっとその回り道した分野とやりたい分野が、思いがけない形でつながることがあるんじゃないかな?

 

※補足※

もう少し就職遅くてもいいんじゃない?

 

案外企業は”大学生”に期待してないんじゃない?

 

だって三年生の時点で内々定貰うって、大学の事信用してないじゃん?

 

てか新卒で大企業にはいらなくてもいいんじゃない?

 

アメリカ式の中途採用でいいんじゃない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 では、失敬。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、背中を追い続ける。

どうもどうも
 
約一ヶ月半ぶりくらいの更新になりますね。
 
毎日暑いけど、みなさんはいかがお過ごしでしょうか
 
わたしは、バイバイト会議バイトみたいな生活です。
 
金は貯まるばっかりで使う場所がありません。
 
みなさんのtwitterリア充色に染まるのを横目にしつつ毎日を過ごしています。
 
せっかくの夏休みだからやりたいことは何でもやった方がいいですよ。
 
フェスに行ってみるとか、納涼船乗ってみるとか
 
ちなみに自分は9月に一人で箱根に行きます。そのレポートもまたこのブログに載せます。
 
 
 
さてさて今回は何を書こうか
 
今回のテーマは「自分の好きな人」
 
 
……(告白とかでは)ないです。
 
好きと言っても”Love”ではなくて”Like”の方。
 
パンピと尊敬する人の間くらいですかね。
 
その好きな方とは、「木原奏子さん」(勝手に名前出してしまい申し訳ないです)
 
この方は同じ大学で、「体育会系美術館巡り部」というこれまたマイナーなサークルの部長さんを務めている方です。
 
サークルの紹介は今度かけたらいいですね。
 
では、どんなところが好きなの?というと
 
彼女の行動とか考え方とかにスゴイ惹かれます。
 
自分の目指すところが詰まってる気がしてます。
 
”とにかく人と違うことをやる。”
 
ちなみに自分のモットーは、”朱に交わっても赤くならない”
 
この方の影響があって考え付いたわけではないんですけどね。
 
自分と似てる部分があるからこそ、惹かれる部分があるのだと思います。
 
 
 
例えば…彼女はブログを書いてます。しかも毎日。
 
こんなサイトです☞https://mitemite.co/
 
 
たぶん意識して人と違うことをやろうとしているわけではないのだと思います。
 
 
自分ではそういった姿勢であったり行動であったりを ”日常に対するちょっとした反抗” って呼んでます。
 
 
自分も例えば、サークル作ってみたり、人と違う服の色を選んでみたり。リュックサックを毒々しい色にしてみたり。
(↓こんな感じ)

f:id:blackrock727:20160820173216j:plain

 
ファッション系に関しては意識してるというよりは無意識的にそういうのを選ぶ癖がついちゃってます。
 
 
この ”日常に対するちょっとした反抗” 精神(?)が好きな所です。
 
以上、ただ自分の好きな人の好きな所をへたくそな文章でひたすらに書くという何とも気持ちの悪いブログになってしまいましたがいかがでしょうか。
 
 
 
もっと綺麗な文章で面白いネタを書けるといいんですけど。
人となりがつまらないからつまらなくなってしまうのです。
 
自己満で書いてるので、ご容赦ください。
 
 
 
モノトーンの日々を過ごすのはつまらない。
だからいろんなものに触れて日常に彩りを増やしてゆく。
 
では、失敬。
 

選挙に行ってきた

どうも。ご無沙汰しております。

 

本日は暑い中投票所へ行って、初の選挙権を行使してきました。

 

投票所からは「おぉ!」という歓声が上がりました。

 

そんな歓声はたぶん今回だけでしょう。

 

みなさんはどの政党へ投票しましたか?

 

はたまた、時間が無くて・実家に投票のハガキが届いてしまって一人暮らし先の家には届かず投票できなかった、という方もいるかもしれません。

 

まだ時間はあります。せっかくの選挙権、行使しましょう。

 

 

自分は昔から、選挙には必ず行くと決めていました。

社会科の先生に促されたから、というのが理由ではないと思います。

 

たぶん、選挙権獲得の歴史を学んだからだと思います。

 

完全普通選挙を成し得るまでに、どれだけの人数・年月が費やされ、どれだけの血と汗と涙が流れたのか。

 

そこまでして、参政権を欲しがった理由。

 

それらを考えると、安易に選挙権を放棄することは私には考えられませんでした。

 

 

正直、誰に投票していいかもわかりません。どの党に投票していいかもわかりません。

 

みなさんも、この思いは同じだと思います。

 

この2~3週間、各党の政策を比較したり、候補者演説を聞いてみたり、自分のやれる範囲のことはやってみました。

 

インターネットやTwitterから流れてくる専門家の意見も一つ一つ読みました。

 

そうして、一人の候補者・比例代表を選出しました。

 

アポロ11号で月面着陸した、ニール・アームストロング船長の言葉を借りるならば

 

「選挙にとっては小さな一票だが、未来にとっては偉大な一票だ」

 

 

貴重な選挙権です。行使できるなら、行使してみてください。

 

声は上げなければ、届きません。

 

 

”もし私が弱ければ、悲鳴を上げられなくなる日がくるって。そうなったら私は、生きたまま死んでいるのと変わらない。それが怖くて泣いたんです”

米澤穂信氷菓』角川文庫  p205,206より抜粋、一部改変。

 

 

 

それではまた。

彼らはポスト "Mr.Children" になるのだろうか。

みなさんご無沙汰してます。

 

日曜午前をいかがお過ごしでしょうか。

 

昨日今日と気温が高く、梅雨はどこへやらという感じですが、絶好のお出かけ日和だと思います。

 

課題を捨てて、街に出ましょう。きっと素敵な出会いがあるはずですよ。

 

さてさて今回は、ある有名アーティストについて書きたいと思います。

 

そのアーティストとは『 back number 』です。

 

知らない人はいないはず。月9以来(いやもっと前からかもしれんが)急激に世間からの認知度が高まったと感じます。

 

そんな彼らのライブが昨日・今日と幕張メッセで開催されています。私も昨日・今日と参戦してます。

 

会場の規模で言うならば、back number ワンマンライブ史上最大の大きさだそうです。残りは東京ドームくらいでしょうかね。

 

約1年半ぶりくらいに参戦した印象としては、以前よりミドルエイジの層の観客が増えたなぁと。何ででしょうね。

 

自分なりに考察してみた結果、同年代のバンド(KANA-BOON, [Alexandros], ONE OK ROCK,...)と比べてそこまで曲調が激しくなく、自分の思いをストレートに伝えてくれる歌詞への共感が、その層の観客を増やしている要因なのかな、と。

 

何かこの構図に既視感を覚えるのは私だけでしょうか。

 

ヒントは「小林武史」です

 

…もうお判りでしょう。そうです。あの国民的バンド『Mr.Children』です。

 

ミスチル」と呼ばれ、幅広い年代層からの支持があります。

更に曲調もそこまで激しくなく、共感を呼べる歌詞だと思います。

 

ここで少しback number のここ最近の曲を振り返ってみたいと思います。

 

『高嶺の花子さん』『fish』『繋いだ手から』『ヒロイン』『SISTER』『手紙』『クリスマスソング』…

 

この内『ヒロイン』『手紙』『クリスマスソング』は、ミスチルでも編曲をしている小林武史が編曲を担当しています。

どれもタイアップされた曲で、back number の人気に火をつけたといっても過言ではありません。

 

ちなみに、あのMr.Children小林武史に出会うまではそこまで人気が出ていたバンドではありませんでした。

さらに、あの『レミオロメン』にも全面サポートしていました。

 

 

小林武史は稀代のヒットメーカーである。80,90年代の音楽を作り上げたのは小室哲哉と彼と言っても良い。

 

この先、back number はどう進んでいくのだろうか。

back number の持ち味でもある泥臭い歌詞や曲調は、小林武史の手によって柔らかな、優しい曲へと変貌を遂げるのだろうか。

 

back number は、ポスト Mr.Children となるのだろうか。

 

そんなお話でした。

ブログ、開設しました

 

どうも初めまして。

 

前からやろうか迷ってたんですけど、とうとう始めました。

 

記事内容的には、Twitterの補完みたいな感じで、社会問題から最近身の回りで起きたことが投稿範囲になりそうです。(まだわかんない)

 

「これ書いたらなんか長文ツイになりそうだな~」というのを、つらつらと述べていきます。

 

設定とか何にもわからないし、ブログ名を何にしようかも迷い中だけど、こんな感じで始めます。

 

更新頻度は、2~3日に一回とかじゃないですかね。

 

文章下手かもしれないですけど、そこは暖かく見守っていただければ幸いです。

 

それでは、また。