名前は、まだない。

@comme_je_suis_

大相撲観戦記

ご無沙汰しております。

 

割と自分の中では夢だった「大相撲」の観戦にいってきました。

 

 

こんな感じで、満員御礼の札が中入り後に出てました。(写真は中入り前)

 

中入りとは、幕内力士の紹介みたいな感じで、化粧まわしつけた力士の方々が登場し、土俵の周りを囲んでなんかやってます。すごい黒魔術感あった。

 

今回、桝席と呼ばれる席(これがほとんど)に座ったんですが

 

 

狭い。圧倒的に狭い。

 

 

4人用ではあるんですが、4人も入ると座るのにも一苦労でした。

 

また、ここでは飲食全然OKで、自分もお弁当食べながら相撲観戦してました。

 

そのため、ほとんど宴会みたいになってて、本来の目的を忘れてる人も多々いました。

 

これは、ある意味ストリップショーなのかな、なんて。

 

そこに来るお客さんというのは、酒を飲んでつまみを食って談笑、ができれば場所はどこだってよくて。

 

たまに面白い試合があれば、それを見て。

 

最後に覚えてるのは、酒を飲んだ記憶だけ。みたいな。

 

 

そこには観客も一体になって雰囲気を作り上げる、スポーツ観戦ならではの真剣さ、緊張感というものはなく、

 

ただ、主役である力士だけがそこに取り残されているような気がして、ちょっと不憫でした。

 

桝席ちょっと金額も高く、なかなか手が出せないとは思いますが、日本人なんだし、一回くらい相撲見てみてもいいのではないでしょうか。

 

では、失敬。

”日本”の大学で「学ぶ」ということ

どうもどうも、ご無沙汰しております。

 

久方ぶりの更新です。読者のみなさん、大変お待たせしました。

 

 

最近はめっきり”秋の長雨”らしく、パッとしない天気が続いていて、

夏の終わりをひしひしと感じています。

 

 

みなさん夏を楽しめましたか?

 

僕は働いてた思い出が強めです。

 

僕の話はどうでもいいですね。 

というわけで、早速本題に入らせていただこうかと思います。

 

今回は「日本の大学で『学ぶ』ということ」

 

これは今夏の最大のテーマでもあって、8月くらいからずっと考えたり資料読んだりしてました。(文章化が遅れて申し訳ないです)

 

 

みなさんは、大学をどのように捉えてますか?

 

 

”とりあえず適当に通って、卒業して、いい会社入るための踏み台”

とか

”サークルとかで、友達恋人作る場所!”

とか

あくまで自分の偏見な部分があるので何とも言えませんが、ほとんどの人が最初に挙げたた

”いい会社(大企業)入るための踏み台”

なんて、考えているのではないですか?

 

先日、こんな話を聞きました。

 

「大学の学園祭を運営する運営委員会に入ってます。そこは申し込んだら必ず属せるというわけではなく、人数が多いため、抽選制にしています。

その倍率は何十倍、下手したら100倍近くまでいくみたいな話を聞きました。

もちろん私は、高校の時も文化祭実行委員やったりしてたから、大学のもやってみようかなっていう気持ちもあったのですが、実は先輩からこういう話を聞いちゃって…。

 

『この学園祭の実行委員をやってたっていうと、結構就職しやすいらしいよ?先輩もみんな一流企業の就職決まったっていうし。』

 

だから、口は悪いですけど、半分就職目当てなところもあります。

たぶん他の人も同様の話を聞いて応募したから、とても倍率が高いんだと思います。」

 

これには私も驚きました。

生活のほとんどが”就職”を意識した行動になっているということにです。

 

ここで僕が言いたいのは、本当にそれでいいのですか? ということ。

 

何のために授業を選び、単位を取り、卒業するのか。

 

いわゆる”楽単”と呼ばれ、興味が無くても簡単に単位が取れる授業ばかり履修することを考えていませんか?

 

私がここで言いたいのは、楽単じゃなく、リベラルアーツ的な勉強をしてはどうか、ということです。

 

こんなこというのは正直申し訳ないし、これがきっかけでTwitterをブロックされても自己責任なんですが、少しだけ脱線させていただきたいと思います。

 

うちの大学にも他の大学と同様、いろんなサークルがあります。

 

前に述べた美術館巡り部から普通のテニスサークルまで。

 

その中で、同じ1年生が立ち上げたサークルがあるんですね。

 

そのサークルの活動の一環で、大学の授業に関するアンケートフォームが私の元へも回ってきました。

 

上から目線な評価でこれまた申し訳ないのですが、企画自体はとても斬新なものだと思いました。

ただ、これは”楽単”を見つけ出す作業のような気がします。

 

決して私は楽単を取るなとは言いません。単位を効率的に取って卒業し、就職してください。

 

では本筋に。

 そもそもうちの大学でやっている「全学カリキュラム」は他の大学でも同様の制度が取られ、一般教養科目、略して”パンキョー”なんて蔑称がついています。

 

これは海外のリベラルアーツ教育を取り入れようという動きの中でできた制度です。

うちのホームページでは、このような紹介となっています。

専門分野の枠を超えた幅広い知識と教養、総合的な判断力と優れた人間性を養うことを目的とした、全学部の学生を対象に、全学部によって運営される共通のカリキュラムであり、まさに「リベラルアーツの立教」を具現化する、大学教育のあたらしい「かたち」と言えるでしょう。

 

全学共通カリキュラムでは、このようなリベラル・アーツ教育を「教養ある専門人の育成」ではなく、「専門性にある教養人の育成」を目指すものとして位置付けられています。

 

最後の部分、「教養ある専門人の育成」ではなく、「専門性にある教養人の育成」というところ。

 

僕が思うに、前提が間違ってる気がするんですよね。

これ、逆ではないのかと。

 

日本国内で数えるほどしかない”海外式の”リベラルアーツ教育を行っている、東京大学を例にとって考えてみたい。

 

東京大学は、入学後2年間、全学生が教養学部という学部で学び、その成績如何で類型に沿った進路振り分けが行われます。

ただ、特徴なのは、入った類型に囚われることなく、進振りの段階で文系の理転・理系の文転が可能になっているということです。

 

これが日本の最高峰高等教育機関なのです。

 

 自分の専攻(メジャー)を選ぶ前に、文系理系の区別なく様々な授業で学んでいます。

 

元々理科3類で入学してきた学生が、大学では「不敬文学」についての授業を受けている、なんて光景がよく目に入るそうです。

 

そして、そのような生徒に限って、面白いレポートを執筆してくるというのです。

 

 

ここからは、少し日本の大学制度についての批判を書かせていただきます。

 

そもそも、「〇〇学部」というのがあるのは日本くらいです。

 

では、海外は?というと、学部はありません。

 

入試制度自体も、〇〇大学△△学部の試験を受ける、というよりも、大学自体に入学するために試験を受けるといった制度です。

 

例えばドイツでは、「アビトゥーア」というギムナジウム(日本でいう高校的な、本来は8年間一貫の中等教育機関)の卒業試験を合格することで、原則どの大学にも(行こうと思えばベルリン大学にも!)行けるという制度になっています。

 

入学後は、大筋2年間の基礎科目を履修したのち専攻を決めるという制度で、東大やICUが同様の制度を取っています(2回目)

 

なぜ大きく遠回りするのかと言えば、そうすることで、幅広い見地を身につけることができて、物事を多角的に考える力が身につくからなのでしょう。

 

さっきからリベラルアーツリベラルアーツって、具体的に何を学んでるの??って方もいると思うので、話します。

 

リベラルアーツは「三学四科」を学ぶことが源流となっています。

三学とは、「文法学」「論理学」「修辞学」

四科とは、「幾何学」「算術」「天文学」「音楽」

です。

 

そこには文系理系という区別はありません。

そもそも海外では「経済学」は”理系”ですし、心理学も”理系”です。

 

海外での唯一の区分である”arts&science"のartsとは、「人工物」つまり、人によって作られた世界を紐解く学問というわけです。(だから”arts”)

人工の反対は、自然。神が作った世界のありのままの、”nature”の姿を紐解く学問というのがここに当てはまります。(だから”science”)

 

僕の考えとしては、日本の大学も同様の仕組みにしてみたらどうなのかな、と考えています。

 

2学期に入って、益々次のような話を聞くことが多くなりました。

 

「経済学部やめたい」

 

いや、まぁ辞めてもいいんじゃない?とは思うんですが、今回はそういうことではなくて、この言葉にすべてが詰まってるといっても過言ではないのか、と思うのです。

 

つまり、「学部の枠にとらわれて勉強したくない」ということです。

 

受験生のころ、あなたは学校とかで「進路はどうしますか」って聞かれたことがあると思います。

その時一緒に「将来何になりたいの」って聞かれませんでしたか?

 

あなたはその時、どう答えましたか?

 

もし、なりたい将来が描けているなら、そこだけに一直線に向かうだけでなく、少し大学で回り道していろんな世界に触れてからもう一回考え直してみてほしいです。

 

もし、なりたい将来が描けてないんだったら、尚更いろんな世界に触れて進路を考えてほしいのです。

 

その為に必要なのが、真のリベラル・アーツ教育なのです。

 

その為に必要なのが、「学部の解体」「入試制度改革」なのです。

 

少し前に「文系学部不要論」が話題になりましたが、いっそのこと全学部不要にしてみてはどうなのでしょうか、と日本の大学に問いたいです。

 

実は今一人リベラルアーツをやってます。

 

一応なりたい職業とかは決まってるんですけど、それだけやるのももったいないと思って色々回り道してます。

 

きっとその回り道した分野とやりたい分野が、思いがけない形でつながることがあるんじゃないかな?

 

※補足※

もう少し就職遅くてもいいんじゃない?

 

案外企業は”大学生”に期待してないんじゃない?

 

だって三年生の時点で内々定貰うって、大学の事信用してないじゃん?

 

てか新卒で大企業にはいらなくてもいいんじゃない?

 

アメリカ式の中途採用でいいんじゃない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 では、失敬。

 

 

 

 

 

 

 

 

投げ出すこと

どうも、ご無沙汰しております。

 

突然ですが、みなさんは物事すぐ投げ出す派ですか?

 

自分でこういうのもあれなんですが、結構投げ出さずにやる方です。

 

でも、ある日突然、何もかも投げ出したくなるのです。

 

ちょうど今がその時期なんです。

 

だからこういう変な文章を書きたくなる。

 

 

最近、なんでそういう風に突然投げ出したくなるのかなって振り返ってみたんです。

 

ひとつ思い当たる節が。

 

”無条件に受け入れられる”というのをその前によく見かけてるな、っていう。

 

例えば

「そのままの君でいればいいんだよ」

みたいな。

 

ずっと否定されてきて、きっと心がもたないんでしょうね。

 

心の拠り所がないから、”無条件の受け入れ”というものに安寧を求めた結果としての突然の投げ出しなのかな、と考えるようになりました。

 

心に余裕が欲しい。そんな日。

 

では、失敬。

だから、背中を追い続ける。

どうもどうも
 
約一ヶ月半ぶりくらいの更新になりますね。
 
毎日暑いけど、みなさんはいかがお過ごしでしょうか
 
わたしは、バイバイト会議バイトみたいな生活です。
 
金は貯まるばっかりで使う場所がありません。
 
みなさんのtwitterリア充色に染まるのを横目にしつつ毎日を過ごしています。
 
せっかくの夏休みだからやりたいことは何でもやった方がいいですよ。
 
フェスに行ってみるとか、納涼船乗ってみるとか
 
ちなみに自分は9月に一人で箱根に行きます。そのレポートもまたこのブログに載せます。
 
 
 
さてさて今回は何を書こうか
 
今回のテーマは「自分の好きな人」
 
 
……(告白とかでは)ないです。
 
好きと言っても”Love”ではなくて”Like”の方。
 
パンピと尊敬する人の間くらいですかね。
 
その好きな方とは、「木原奏子さん」(勝手に名前出してしまい申し訳ないです)
 
この方は同じ大学で、「体育会系美術館巡り部」というこれまたマイナーなサークルの部長さんを務めている方です。
 
サークルの紹介は今度かけたらいいですね。
 
では、どんなところが好きなの?というと
 
彼女の行動とか考え方とかにスゴイ惹かれます。
 
自分の目指すところが詰まってる気がしてます。
 
”とにかく人と違うことをやる。”
 
ちなみに自分のモットーは、”朱に交わっても赤くならない”
 
この方の影響があって考え付いたわけではないんですけどね。
 
自分と似てる部分があるからこそ、惹かれる部分があるのだと思います。
 
 
 
例えば…彼女はブログを書いてます。しかも毎日。
 
こんなサイトです☞https://mitemite.co/
 
 
たぶん意識して人と違うことをやろうとしているわけではないのだと思います。
 
 
自分ではそういった姿勢であったり行動であったりを ”日常に対するちょっとした反抗” って呼んでます。
 
 
自分も例えば、サークル作ってみたり、人と違う服の色を選んでみたり。リュックサックを毒々しい色にしてみたり。
(↓こんな感じ)

f:id:blackrock727:20160820173216j:plain

 
ファッション系に関しては意識してるというよりは無意識的にそういうのを選ぶ癖がついちゃってます。
 
 
この ”日常に対するちょっとした反抗” 精神(?)が好きな所です。
 
以上、ただ自分の好きな人の好きな所をへたくそな文章でひたすらに書くという何とも気持ちの悪いブログになってしまいましたがいかがでしょうか。
 
 
 
もっと綺麗な文章で面白いネタを書けるといいんですけど。
人となりがつまらないからつまらなくなってしまうのです。
 
自己満で書いてるので、ご容赦ください。
 
 
 
モノトーンの日々を過ごすのはつまらない。
だからいろんなものに触れて日常に彩りを増やしてゆく。
 
では、失敬。
 

選挙に行ってきた

どうも。ご無沙汰しております。

 

本日は暑い中投票所へ行って、初の選挙権を行使してきました。

 

投票所からは「おぉ!」という歓声が上がりました。

 

そんな歓声はたぶん今回だけでしょう。

 

みなさんはどの政党へ投票しましたか?

 

はたまた、時間が無くて・実家に投票のハガキが届いてしまって一人暮らし先の家には届かず投票できなかった、という方もいるかもしれません。

 

まだ時間はあります。せっかくの選挙権、行使しましょう。

 

 

自分は昔から、選挙には必ず行くと決めていました。

社会科の先生に促されたから、というのが理由ではないと思います。

 

たぶん、選挙権獲得の歴史を学んだからだと思います。

 

完全普通選挙を成し得るまでに、どれだけの人数・年月が費やされ、どれだけの血と汗と涙が流れたのか。

 

そこまでして、参政権を欲しがった理由。

 

それらを考えると、安易に選挙権を放棄することは私には考えられませんでした。

 

 

正直、誰に投票していいかもわかりません。どの党に投票していいかもわかりません。

 

みなさんも、この思いは同じだと思います。

 

この2~3週間、各党の政策を比較したり、候補者演説を聞いてみたり、自分のやれる範囲のことはやってみました。

 

インターネットやTwitterから流れてくる専門家の意見も一つ一つ読みました。

 

そうして、一人の候補者・比例代表を選出しました。

 

アポロ11号で月面着陸した、ニール・アームストロング船長の言葉を借りるならば

 

「選挙にとっては小さな一票だが、未来にとっては偉大な一票だ」

 

 

貴重な選挙権です。行使できるなら、行使してみてください。

 

声は上げなければ、届きません。

 

 

”もし私が弱ければ、悲鳴を上げられなくなる日がくるって。そうなったら私は、生きたまま死んでいるのと変わらない。それが怖くて泣いたんです”

米澤穂信氷菓』角川文庫  p205,206より抜粋、一部改変。

 

 

 

それではまた。

体験するって大事①

どうも。

 

久方ぶりの更新となってしまいました。

 

こう書くと、いかにも更新することが義務であるかのように聞こえてしまいます。

 

義務で書いたところで面白いものが書けるわけではないんですけれど。

 

最近暑いですね。梅雨はどこへ行ったのやらという感じです。

 

自宅の周りではセミが鳴いていました。もう夏なのではと錯覚してしまいます。

 

そうなると、自分としてはそうめんが恋しくなってきます。一人暮らしの方は作るのもそこまで手間がかからないですし食べているのではないでしょうか?

 

そうめん、確かにおいしいですけど栄養価があまり高くないので、食べるときはしっかりと野菜も摂取した方が良いです。

 

その昔江戸では米の食べ過ぎで「脚気」が流行りましたからね。

脚気」とは、ビタミンB₁の欠乏症のことで、心不全や末梢神経障害を引き起こす大変な病気です。

 

という長い長い前置きはさておき、今回はモラトリアム期間に自分が体験してきたこととかを話したいなーと。

 

  • Totem(シルク・ド・ソレイユ)

 

その中から今日はこの話題を。良ければお付き合いくださいませ。

 

そのTotemですが、自分の所属してるサークル「体育会系美術館巡り部」の活動の一環で行ってきました。

 

そのサークルの紹介はまた今度。

 

自分たちが座った席は前から8列目でした。すごい…近いです。

そこからは演者の筋肉の躍動、彼らの息遣いや気迫がビリビリと伝わってきて、見ているこちらまで手に汗握った大興奮の約3時間でした。

 

始まる前、会場を盛り上げるために数人の演者が客席に来て、様々なことをやります。

そこで私は、”これが「エンターテインメント」と呼ばれ続けてきた理由なのか”と気づかされました。

 

もちろん始まってからの演技も素晴らしいのですが、彼らの「観客を一体にする力」と形容したらよいのでしょうか、その力を遺憾なく発揮して場を温め、私たちをentertain(=楽しませる)させます。

もしかしたら彼らはいらないのかもしれません。演技だけでも充分に盛り上がることができます。でもそういう”余分な所”に価値があるのではないでしょうか。

 

自分の中では「サーカス(シルク・ド・ソレイユ)」は一回見ておけば気が済むだろう程度に思っていました。

 

しかし今回この演技を観覧し、「もう一回見たい!」という感情がすぐに沸き起こってきました。

 

会場の一体感やしなやかな肉体から繰り出される妙技の数々。そのどれもが素晴らしいモノであったTotemを、またシルク・ド・ソレイユを是非見にいってみて下さい。

 

 

体験しないと、分からないことがある。

 

”人生の夏休み”なんて言われてる大学生活を、家と大学、バイト先との往復だけで済ませていいんですか?

 

色々興味のあること、全然興味のないこと。どれもこれも体験してみてはいかがでしょうか。

 

食わず嫌いはよくないですよ。

 

ちなみに私は「とろろ」が嫌いです。食べた後に口の周りが痒くなってしまうんですよね。食わず嫌いというわけではないのです。

 

では失敬。

 

 

彼らはポスト "Mr.Children" になるのだろうか。

みなさんご無沙汰してます。

 

日曜午前をいかがお過ごしでしょうか。

 

昨日今日と気温が高く、梅雨はどこへやらという感じですが、絶好のお出かけ日和だと思います。

 

課題を捨てて、街に出ましょう。きっと素敵な出会いがあるはずですよ。

 

さてさて今回は、ある有名アーティストについて書きたいと思います。

 

そのアーティストとは『 back number 』です。

 

知らない人はいないはず。月9以来(いやもっと前からかもしれんが)急激に世間からの認知度が高まったと感じます。

 

そんな彼らのライブが昨日・今日と幕張メッセで開催されています。私も昨日・今日と参戦してます。

 

会場の規模で言うならば、back number ワンマンライブ史上最大の大きさだそうです。残りは東京ドームくらいでしょうかね。

 

約1年半ぶりくらいに参戦した印象としては、以前よりミドルエイジの層の観客が増えたなぁと。何ででしょうね。

 

自分なりに考察してみた結果、同年代のバンド(KANA-BOON, [Alexandros], ONE OK ROCK,...)と比べてそこまで曲調が激しくなく、自分の思いをストレートに伝えてくれる歌詞への共感が、その層の観客を増やしている要因なのかな、と。

 

何かこの構図に既視感を覚えるのは私だけでしょうか。

 

ヒントは「小林武史」です

 

…もうお判りでしょう。そうです。あの国民的バンド『Mr.Children』です。

 

ミスチル」と呼ばれ、幅広い年代層からの支持があります。

更に曲調もそこまで激しくなく、共感を呼べる歌詞だと思います。

 

ここで少しback number のここ最近の曲を振り返ってみたいと思います。

 

『高嶺の花子さん』『fish』『繋いだ手から』『ヒロイン』『SISTER』『手紙』『クリスマスソング』…

 

この内『ヒロイン』『手紙』『クリスマスソング』は、ミスチルでも編曲をしている小林武史が編曲を担当しています。

どれもタイアップされた曲で、back number の人気に火をつけたといっても過言ではありません。

 

ちなみに、あのMr.Children小林武史に出会うまではそこまで人気が出ていたバンドではありませんでした。

さらに、あの『レミオロメン』にも全面サポートしていました。

 

 

小林武史は稀代のヒットメーカーである。80,90年代の音楽を作り上げたのは小室哲哉と彼と言っても良い。

 

この先、back number はどう進んでいくのだろうか。

back number の持ち味でもある泥臭い歌詞や曲調は、小林武史の手によって柔らかな、優しい曲へと変貌を遂げるのだろうか。

 

back number は、ポスト Mr.Children となるのだろうか。

 

そんなお話でした。