名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

吾輩は猫である。名前は…

僕の家には昔、黒猫がいたという。

 

名前は「クロマティ

 

当時活躍していた助っ人外国人プロ野球選手と、毛の色合いとをかけて名付けられた。

 

 

時に名前とは呪いのようであり名付けられたモノの人生を縛りつける。

 

彼の名前もそうであり、僕の名前もそうである。

 

 

「黒猫が目の前を横切ると不吉なことが起こる」とはよく言ったもので。

 

我が家の空気の澱んだ感じはこの家の中を幾度となく歩き回ったことに起因しているのではないかと疑うときもある。

 

 

彼はとても長生きだった。

 

15年生きたという。ただ亡骸もなければ墓もない。

 

彼は最期をどこで迎えたのか、誰も知らない。

 

いつの間にか出ていった。

 

 

孤独を愛しているかのような素振りをしつつも実は誰かからの愛情を求めているその姿は、実に人間らしく僕の目には映る。

 

 

命日が分からない彼を、今日くらい偲んでも化けて出てきやしないだろう。

 

ましてや、目の前を横切るなんて、ね。

【旅のまとめ】ぼくが地方に行く理由

新年あけましておめでとうございます。

 

 

あけたけど、去年と何ら変わらない日常を過ごしております。

 

みんなお年玉もらった?それとも従兄弟にあげた?

 

さすがにもう貰える年齢ではないらしく、今年は0でスタートです。つらい。

 

 

さて、去る2016年12/31から2017年1/1にかけて、福島は会津若松に行って年を越しました。

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(ほうじ茶おいしい)

 

ルートは北千住~会津田島会津若松。5時間座りっぱなしでエコノミー症候群になるかと思った。

 

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(駅名長い。)

 

これらの写真見てもらえばわかるんですけど、雪です。

東北は雪が降ってました。

 

山のこちら側と向こう側じゃ気候も何もかも違っちゃいますね。

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そして、乗ってる電車も昭和の哀愁漂うボックスシート。(これは会津鉄道

 

ぼくはボックスシートが大好きです。

 

いかにも旅っていう感じがするじゃないすか。

 

更に言うならば、時間がかかる方が良いです。

 

もし「どこでもドア」があって世界中瞬時に行けるようになったら、旅は意味をなさなくなるのではないか。

場所はそこにあるが、心持ちと思考がたどり着くにはすごく時間がかかる。移動時間とはそのためにあるのだろう。

 

チェルノブイリは「ふつう」だった - デイリーポータルZ:@nifty

 

この言葉に刺されました。そうなんです。どこでもドアがあっていいのは通勤通学のときだけでいいんです。

旅に時間がかかることで自分の心が整理されたり、ワクワクが増幅したりと、日常生活と非日常の切り替えをする機能が時間に備わってると思うのです。

もちろん新幹線も好きです。けど速さを得た引き換えに旅愁が失われた気がして少し寂しい。

出来ることなら京都にもローカル線で行きたい。

 

話を戻しましょうか。

 

今回回れたのは鶴ヶ城のみ。年末年始はどこもあいてないですね。

 

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(わかりにくいかもしれないけど、瓦は赤です。日本で唯一かも。)

 

ここは戊辰戦争が進む中、奥羽越列藩同盟の拠点として使われ、会津戦争の際には1ヶ月以上籠城したとか。

 

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なお新政府軍の大砲でボコボコの模様。

 

そこから一回崩してまた再建したのが今の形です。

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天守閣からはこんな感じ。ずっと曇ってた。

 

そして高い建物が無いから遠くの山まで見渡せる。

 

そんなこんなで鶴ヶ城を後にして、

 

 

モツ焼き食べました。めちゃ美味い。特にシメのたまご雑炊が。

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そんなこんなで会津若松を後にしました。本当は相馬とかにも行きたかったのですが、あまりにも電車の本数が少なすぎて2日まで横断しそうだったので今回は断念。また3月に今度は竜田に足を運ぼうかと。

 

 

さて、ここまで旅のおさらいをしてきましたが、過去にも何度か一人旅をしてきました。

秩父、箱根、松本…

 

なるべく地方に行くことを心がけています。(ぜんぜん行けてないけど)

 

それはなぜか。

 

理由は「そこに日本があると思うから」。

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普段暮らしていると、どうしても東京神奈川のエリアばかりに目が向いてしまい、そこの暮らしを支えているモノに目が行きづらいと思うのです。

 

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もちろん東京も日本。だけど、日本のようで日本でない。

 

いうなればバチカン市国みたいな。違うかも。違うな。

 

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コンビニの店頭におにぎりサンドウィッチが並ぶことをどこか当たり前のように感じていたり。

 

24時間お店が開いているのが当たり前になりつつ時代、それを支えるのは東京以外の地方なわけです。

 

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東京が東京として自立していられるのも、地方の支え・犠牲が伴って支えられている。

 

そういう意識が、人々の中から徐々に薄れていってる気がしてならないと感じます。

 

 

会津若松はまだ栄えてるにしても、そこまでの道はやっぱり栄えているようには見えなかった。

 

これら写真を見てもらえばわかるけど、歩いて5分の距離にコンビニなんてない。あるのは、畑。

 

 

ここが日本を支えているんだ、ここが日本なんだ、と。

 

そういう意識を取り戻すために、僕はまた地方に行く。

 

 

 

 

 

 

料理屋で、女将が言った。

 

福島の米は、美味いんだ。なぁそうだろ、お客さん。

あたしはそれが伝わんねぇのが悲しくって。

 

そう語る目には、一筋の涙。

 

 

 

 

引き金を引け!言葉は武器だ!

どうもです。

 

やること残ってるけど少しだけ。

 

先程、俳優の成宮寛貴さんが芸能界引退を発表されました。

 

みなさんも衝撃を受けていると思います。

 

僕もかなり衝撃を受けました。

 

結局検査結果も陰性で、ねるねるねるね説がいよいよ仮説の域を超え始めたのではないでしょうか。(僕はケーキ屋さん説を推してます)

 

 

 

さて、今回のタイトル「引き金を引け!言葉は武器だ!」なんですが

 

僕の大好きなかた、寺山修司さんの残した言葉の一つです。(本当はもっと長い)

 

その言葉のとおり、「言葉」って武器なんです。

 

自分を守る事もあるし、他人を傷つけるモノでもあるし。

 

書いた文章を人に見てもらっている立場の端くれでもそこは意識しています。

 

今回の件を報道したフライデーは、過去にもビートたけしが「フライデー襲撃事件」を起こすなど、時たま過度な取材を行うような雑誌です。

 

これはフライデーに限らず週刊文春などにも同じことが言えるのだけれども。

 

言論・表現の自由を盾に取り、自分の雑誌が売れるためには何をしても構わないといったような風潮は少し良くないな、と感じています。

 

もしかしたら成宮さんサイドが陰性と偽っている可能性もなくはないですが。(事務所発表なので)

 

※追記

どっちかっていうとセクシュアリティの問題の方が根深いですね。

 

俳優という職業でご飯を食べている彼らにとって、特に成宮さんのようなイケメン俳優にとって、撮影中のラブシーンとかは避けられないですよね。

 

その時に「セクマイ」の印象が視聴者の脳裏にちらついてしまうことそれ自体が俳優にとっては致命的なことだと思うんです。

 

セクマイ自体に罪はありません。それに寛容じゃない社会に罪があると思ってます。

 

自分がそういう存在だっていうことを告白する事って自分には想像もつかないほど勇気のいることだと思います。それを思わぬ形で暴露されてしまったことからくる人間不信が引退を加速させてしまったのかなって少し考えました。

 

あとこれはちょっと分からないけど、映画『怒り』を見ていただけると今回のことが少しわかるのかもしれない。

 

gakumado.mynavi.jp

 

よければこちらもご一読ください。

※追記ここまで

 

 

自分たちの言葉1つで人の人生を狂わせることになる

 

そういうことを書く人は肝に銘じて、欲しいです。僕ももう一度命じます。

 

「たかが言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。引き金を引け!言葉は武器だ!」

 

では、失敬。

 

 

「もはや『戦後』ではない」

どうもどうも

 

ご無沙汰しております。

 

ようやく忙しい時期が終わって、このようにブログを書く時間が取れました。

 

まぁ忙しい原因は自分にあるんですけど。

 

ブログがぽんぽこ書ける人って、あんまりSNStwitterとか)で発言しない傾向が強いなって最近思って。

 

twitterで呟くことで、僕なんかは8割くらいネタを消化してしまうんですけど、彼らは発言しない分ネタに余裕が生まれてる。

 

そこの違いが継続性に繋がってるくるのではないでしょうか。

 

まぁ当ブログの方針は以下を読んで頂いてご理解ください。更新頻度については触れ無い方向性で。

 

lifemaker.hatenablog.com

 

さぁ、というわけで今回のお話はこちら。

 

「もはや『戦後』ではない」

 

聞いた事あるでしょ。これ。

 

1956年に内閣府から出された「経済白書」の中に書かれた一文です。本当の初出はあの文芸春秋らしいですけど。詳しくはこちら( https://ja.wikipedia.org/wiki/経済白書 )を。

 

で、なんでこれなのか。

 

 

この2つのツイートがきっかけになってます。

 

ちょうどトランプが大統領選で勝った日のツイートです。

 

トランプの発言はニュースでもよく取り上げられてて、日本についても物議を醸しそうな(既に醸してるのか)発言をしてますね。

 

その中でも、基地の金払わなかったら撤退するとか。それに付随するかのように噴出した国防軍の創設とか。再軍備化とか。

 

そういうのを踏まえたうえで、もう一回『永続敗戦論』を読むべきなのでは、と思い、この間読み返しました。(こちら↓)

 

簡単な内容を紹介すると、「対米従属」の構造を「敗戦の否認」という立場から読み解いたもの。

 

トランプが大統領になるという歴史的なパラダイムの変遷の時だからこそ

この対米従属構造からの、戦後レジームからの、そして「戦後」というある意味一つの時代区分からの脱却の時期なのではないかと思って今に至っております。

 

僕の中では2016年11月9日を以て「平成元年」といいたい。

 

それは未だ「戦後〇〇年」という言葉が蔓延っているこのご時世において、「もはや戦後ではない」という言葉は欺瞞でしかなく、むしろ「戦後」が1つの元号として機能しつつあることからこのような考えが生まれた。

 

この言葉が使われる限り、日本は敗戦を乗り越えることは出来ない。

 

独立国なんだけど、いまいち独立しきれてないこの国がきちんと立つには、今回の選挙結果は良い方に転んだのかもしれないと感じるようになった。まだ微妙だけど。

 

だからこそ、「もはや『戦後』ではない」のだ。

 

これからようやく平成の世が始まるのか、それとも「平」和が「成」りたつ時代の終わりが始まるのか。

 

政府の行動に注目したい。

 

 

 

 では、失敬。

 

大相撲観戦記

ご無沙汰しております。

 

割と自分の中では夢だった「大相撲」の観戦にいってきました。

 

 

こんな感じで、満員御礼の札が中入り後に出てました。(写真は中入り前)

 

中入りとは、幕内力士の紹介みたいな感じで、化粧まわしつけた力士の方々が登場し、土俵の周りを囲んでなんかやってます。すごい黒魔術感あった。

 

今回、桝席と呼ばれる席(これがほとんど)に座ったんですが

 

 

狭い。圧倒的に狭い。

 

 

4人用ではあるんですが、4人も入ると座るのにも一苦労でした。

 

また、ここでは飲食全然OKで、自分もお弁当食べながら相撲観戦してました。

 

そのため、ほとんど宴会みたいになってて、本来の目的を忘れてる人も多々いました。

 

これは、ある意味ストリップショーなのかな、なんて。

 

そこに来るお客さんというのは、酒を飲んでつまみを食って談笑、ができれば場所はどこだってよくて。

 

たまに面白い試合があれば、それを見て。

 

最後に覚えてるのは、酒を飲んだ記憶だけ。みたいな。

 

 

そこには観客も一体になって雰囲気を作り上げる、スポーツ観戦ならではの真剣さ、緊張感というものはなく、

 

ただ、主役である力士だけがそこに取り残されているような気がして、ちょっと不憫でした。

 

桝席ちょっと金額も高く、なかなか手が出せないとは思いますが、日本人なんだし、一回くらい相撲見てみてもいいのではないでしょうか。

 

では、失敬。

”日本”の大学で「学ぶ」ということ

どうもどうも、ご無沙汰しております。

 

久方ぶりの更新です。読者のみなさん、大変お待たせしました。

 

 

最近はめっきり”秋の長雨”らしく、パッとしない天気が続いていて、

夏の終わりをひしひしと感じています。

 

 

みなさん夏を楽しめましたか?

 

僕は働いてた思い出が強めです。

 

僕の話はどうでもいいですね。 

というわけで、早速本題に入らせていただこうかと思います。

 

今回は「日本の大学で『学ぶ』ということ」

 

これは今夏の最大のテーマでもあって、8月くらいからずっと考えたり資料読んだりしてました。(文章化が遅れて申し訳ないです)

 

 

みなさんは、大学をどのように捉えてますか?

 

 

”とりあえず適当に通って、卒業して、いい会社入るための踏み台”

とか

”サークルとかで、友達恋人作る場所!”

とか

あくまで自分の偏見な部分があるので何とも言えませんが、ほとんどの人が最初に挙げたた

”いい会社(大企業)入るための踏み台”

なんて、考えているのではないですか?

 

先日、こんな話を聞きました。

 

「大学の学園祭を運営する運営委員会に入ってます。そこは申し込んだら必ず属せるというわけではなく、人数が多いため、抽選制にしています。

その倍率は何十倍、下手したら100倍近くまでいくみたいな話を聞きました。

もちろん私は、高校の時も文化祭実行委員やったりしてたから、大学のもやってみようかなっていう気持ちもあったのですが、実は先輩からこういう話を聞いちゃって…。

 

『この学園祭の実行委員をやってたっていうと、結構就職しやすいらしいよ?先輩もみんな一流企業の就職決まったっていうし。』

 

だから、口は悪いですけど、半分就職目当てなところもあります。

たぶん他の人も同様の話を聞いて応募したから、とても倍率が高いんだと思います。」

 

これには私も驚きました。

生活のほとんどが”就職”を意識した行動になっているということにです。

 

ここで僕が言いたいのは、本当にそれでいいのですか? ということ。

 

何のために授業を選び、単位を取り、卒業するのか。

 

いわゆる”楽単”と呼ばれ、興味が無くても簡単に単位が取れる授業ばかり履修することを考えていませんか?

 

私がここで言いたいのは、楽単じゃなく、リベラルアーツ的な勉強をしてはどうか、ということです。

 

こんなこというのは正直申し訳ないし、これがきっかけでTwitterをブロックされても自己責任なんですが、少しだけ脱線させていただきたいと思います。

 

うちの大学にも他の大学と同様、いろんなサークルがあります。

 

前に述べた美術館巡り部から普通のテニスサークルまで。

 

その中で、同じ1年生が立ち上げたサークルがあるんですね。

 

そのサークルの活動の一環で、大学の授業に関するアンケートフォームが私の元へも回ってきました。

 

上から目線な評価でこれまた申し訳ないのですが、企画自体はとても斬新なものだと思いました。

ただ、これは”楽単”を見つけ出す作業のような気がします。

 

決して私は楽単を取るなとは言いません。単位を効率的に取って卒業し、就職してください。

 

では本筋に。

 そもそもうちの大学でやっている「全学カリキュラム」は他の大学でも同様の制度が取られ、一般教養科目、略して”パンキョー”なんて蔑称がついています。

 

これは海外のリベラルアーツ教育を取り入れようという動きの中でできた制度です。

うちのホームページでは、このような紹介となっています。

専門分野の枠を超えた幅広い知識と教養、総合的な判断力と優れた人間性を養うことを目的とした、全学部の学生を対象に、全学部によって運営される共通のカリキュラムであり、まさに「リベラルアーツの立教」を具現化する、大学教育のあたらしい「かたち」と言えるでしょう。

 

全学共通カリキュラムでは、このようなリベラル・アーツ教育を「教養ある専門人の育成」ではなく、「専門性にある教養人の育成」を目指すものとして位置付けられています。

 

最後の部分、「教養ある専門人の育成」ではなく、「専門性にある教養人の育成」というところ。

 

僕が思うに、前提が間違ってる気がするんですよね。

これ、逆ではないのかと。

 

日本国内で数えるほどしかない”海外式の”リベラルアーツ教育を行っている、東京大学を例にとって考えてみたい。

 

東京大学は、入学後2年間、全学生が教養学部という学部で学び、その成績如何で類型に沿った進路振り分けが行われます。

ただ、特徴なのは、入った類型に囚われることなく、進振りの段階で文系の理転・理系の文転が可能になっているということです。

 

これが日本の最高峰高等教育機関なのです。

 

 自分の専攻(メジャー)を選ぶ前に、文系理系の区別なく様々な授業で学んでいます。

 

元々理科3類で入学してきた学生が、大学では「不敬文学」についての授業を受けている、なんて光景がよく目に入るそうです。

 

そして、そのような生徒に限って、面白いレポートを執筆してくるというのです。

 

 

ここからは、少し日本の大学制度についての批判を書かせていただきます。

 

そもそも、「〇〇学部」というのがあるのは日本くらいです。

 

では、海外は?というと、学部はありません。

 

入試制度自体も、〇〇大学△△学部の試験を受ける、というよりも、大学自体に入学するために試験を受けるといった制度です。

 

例えばドイツでは、「アビトゥーア」というギムナジウム(日本でいう高校的な、本来は8年間一貫の中等教育機関)の卒業試験を合格することで、原則どの大学にも(行こうと思えばベルリン大学にも!)行けるという制度になっています。

 

入学後は、大筋2年間の基礎科目を履修したのち専攻を決めるという制度で、東大やICUが同様の制度を取っています(2回目)

 

なぜ大きく遠回りするのかと言えば、そうすることで、幅広い見地を身につけることができて、物事を多角的に考える力が身につくからなのでしょう。

 

さっきからリベラルアーツリベラルアーツって、具体的に何を学んでるの??って方もいると思うので、話します。

 

リベラルアーツは「三学四科」を学ぶことが源流となっています。

三学とは、「文法学」「論理学」「修辞学」

四科とは、「幾何学」「算術」「天文学」「音楽」

です。

 

そこには文系理系という区別はありません。

そもそも海外では「経済学」は”理系”ですし、心理学も”理系”です。

 

海外での唯一の区分である”arts&science"のartsとは、「人工物」つまり、人によって作られた世界を紐解く学問というわけです。(だから”arts”)

人工の反対は、自然。神が作った世界のありのままの、”nature”の姿を紐解く学問というのがここに当てはまります。(だから”science”)

 

僕の考えとしては、日本の大学も同様の仕組みにしてみたらどうなのかな、と考えています。

 

2学期に入って、益々次のような話を聞くことが多くなりました。

 

「経済学部やめたい」

 

いや、まぁ辞めてもいいんじゃない?とは思うんですが、今回はそういうことではなくて、この言葉にすべてが詰まってるといっても過言ではないのか、と思うのです。

 

つまり、「学部の枠にとらわれて勉強したくない」ということです。

 

受験生のころ、あなたは学校とかで「進路はどうしますか」って聞かれたことがあると思います。

その時一緒に「将来何になりたいの」って聞かれませんでしたか?

 

あなたはその時、どう答えましたか?

 

もし、なりたい将来が描けているなら、そこだけに一直線に向かうだけでなく、少し大学で回り道していろんな世界に触れてからもう一回考え直してみてほしいです。

 

もし、なりたい将来が描けてないんだったら、尚更いろんな世界に触れて進路を考えてほしいのです。

 

その為に必要なのが、真のリベラル・アーツ教育なのです。

 

その為に必要なのが、「学部の解体」「入試制度改革」なのです。

 

少し前に「文系学部不要論」が話題になりましたが、いっそのこと全学部不要にしてみてはどうなのでしょうか、と日本の大学に問いたいです。

 

実は今一人リベラルアーツをやってます。

 

一応なりたい職業とかは決まってるんですけど、それだけやるのももったいないと思って色々回り道してます。

 

きっとその回り道した分野とやりたい分野が、思いがけない形でつながることがあるんじゃないかな?

 

※補足※

もう少し就職遅くてもいいんじゃない?

 

案外企業は”大学生”に期待してないんじゃない?

 

だって三年生の時点で内々定貰うって、大学の事信用してないじゃん?

 

てか新卒で大企業にはいらなくてもいいんじゃない?

 

アメリカ式の中途採用でいいんじゃない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 では、失敬。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、背中を追い続ける。

どうもどうも
 
約一ヶ月半ぶりくらいの更新になりますね。
 
毎日暑いけど、みなさんはいかがお過ごしでしょうか
 
わたしは、バイバイト会議バイトみたいな生活です。
 
金は貯まるばっかりで使う場所がありません。
 
みなさんのtwitterリア充色に染まるのを横目にしつつ毎日を過ごしています。
 
せっかくの夏休みだからやりたいことは何でもやった方がいいですよ。
 
フェスに行ってみるとか、納涼船乗ってみるとか
 
ちなみに自分は9月に一人で箱根に行きます。そのレポートもまたこのブログに載せます。
 
 
 
さてさて今回は何を書こうか
 
今回のテーマは「自分の好きな人」
 
 
……(告白とかでは)ないです。
 
好きと言っても”Love”ではなくて”Like”の方。
 
パンピと尊敬する人の間くらいですかね。
 
その好きな方とは、「木原奏子さん」(勝手に名前出してしまい申し訳ないです)
 
この方は同じ大学で、「体育会系美術館巡り部」というこれまたマイナーなサークルの部長さんを務めている方です。
 
サークルの紹介は今度かけたらいいですね。
 
では、どんなところが好きなの?というと
 
彼女の行動とか考え方とかにスゴイ惹かれます。
 
自分の目指すところが詰まってる気がしてます。
 
”とにかく人と違うことをやる。”
 
ちなみに自分のモットーは、”朱に交わっても赤くならない”
 
この方の影響があって考え付いたわけではないんですけどね。
 
自分と似てる部分があるからこそ、惹かれる部分があるのだと思います。
 
 
 
例えば…彼女はブログを書いてます。しかも毎日。
 
こんなサイトです☞https://mitemite.co/
 
 
たぶん意識して人と違うことをやろうとしているわけではないのだと思います。
 
 
自分ではそういった姿勢であったり行動であったりを ”日常に対するちょっとした反抗” って呼んでます。
 
 
自分も例えば、サークル作ってみたり、人と違う服の色を選んでみたり。リュックサックを毒々しい色にしてみたり。
(↓こんな感じ)

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ファッション系に関しては意識してるというよりは無意識的にそういうのを選ぶ癖がついちゃってます。
 
 
この ”日常に対するちょっとした反抗” 精神(?)が好きな所です。
 
以上、ただ自分の好きな人の好きな所をへたくそな文章でひたすらに書くという何とも気持ちの悪いブログになってしまいましたがいかがでしょうか。
 
 
 
もっと綺麗な文章で面白いネタを書けるといいんですけど。
人となりがつまらないからつまらなくなってしまうのです。
 
自己満で書いてるので、ご容赦ください。
 
 
 
モノトーンの日々を過ごすのはつまらない。
だからいろんなものに触れて日常に彩りを増やしてゆく。
 
では、失敬。