【はたちになった】ここらで一息ついてもいいよね。
ー芦ノ湖にて。
20歳になった。
人生80年として、1/4が経過したんだが、これをあと3回繰り返すのかと思うとなかなかしんどい。
でもこうやって今ここに生きているのは、どうもすごいことらしい。
最近『旅をする木』という写真家の星野道夫が執筆した短編集を読んでいる。
その中の「春の知らせ」では、アラスカでの動物たちの生きる厳しさが非常に丁寧に描かれている。
カリブーの仔どもが寒風吹きすさぶ雪原で産み落とされるのも、一羽のベニヒワがマイナス50度の寒気の中でさえずるのも、そこに生命のもつ強さを感じます。けれども、自然はいつも強さの裏に脆さを秘めています。
(中略)
そういう脆さの中でい私たちは生きているということ、言いかえれば、ある限界の中で人間は生かされているのだということを、ともすると忘れがちなような気がします。
なんだか生きていることが当たり前なんだけど、そういう世界もあるってことを忘れていた。
20年目を迎えた今、大学のこととか資格のこととか、色々追われて、何となくで生きている気がしてるから、そろそろここらで一息つきたい。
ここで一息ついて、これからどうしようかとか、少しずつ考えながら、また人生歩んでいけばいいのかな。
やっぱり人間でもなんでもそうなんだけど、1回休まないとダメよね。
では、失敬。
二十歳になれば。
POPEYE二月号『二十歳のとき、何をしていたか?』の前文にはこう書いてある。
”偉業”の始まりが二十歳にあるという人は多かったりする。
”大事”をなすことのみが”素晴らしき二十歳”ではないし、人生の全てが二十歳で決まってしまうわけではない。でも、二十歳の時に必死で頑張ってみたり、何かを始めてみるのは、きっといいものだ。
ところで。
「ナツイチ」という集英社文庫の夏のキャンペーンの中に朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』が紹介されていた。
朝井リョウは、この本を弱冠19歳で執筆したらしい。
現在、僕は19歳と345日。
”大事”をなすことだけが人生じゃないけど、でもやっぱ男に生まれたからには何か”大事”の一つや二つくらい成し遂げたいよね。
二十歳になれば、二十歳になる今年が、僕にとっての大事の起点となるのか。
いろいろ頑張らないとと思った、そんな夜。
吾輩は猫である。名前は…
僕の家には昔、黒猫がいたという。
名前は「クロマティ」
当時活躍していた助っ人外国人プロ野球選手と、毛の色合いとをかけて名付けられた。
時に名前とは呪いのようであり名付けられたモノの人生を縛りつける。
彼の名前もそうであり、僕の名前もそうである。
「黒猫が目の前を横切ると不吉なことが起こる」とはよく言ったもので。
我が家の空気の澱んだ感じはこの家の中を幾度となく歩き回ったことに起因しているのではないかと疑うときもある。
彼はとても長生きだった。
15年生きたという。ただ亡骸もなければ墓もない。
彼は最期をどこで迎えたのか、誰も知らない。
いつの間にか出ていった。
孤独を愛しているかのような素振りをしつつも実は誰かからの愛情を求めているその姿は、実に人間らしく僕の目には映る。
命日が分からない彼を、今日くらい偲んでも化けて出てきやしないだろう。
ましてや、目の前を横切るなんて、ね。
【旅のまとめ】ぼくが地方に行く理由
新年あけましておめでとうございます。
あけたけど、去年と何ら変わらない日常を過ごしております。
みんなお年玉もらった?それとも従兄弟にあげた?
さすがにもう貰える年齢ではないらしく、今年は0でスタートです。つらい。
さて、去る2016年12/31から2017年1/1にかけて、福島は会津若松に行って年を越しました。
(ほうじ茶おいしい)
ルートは北千住~会津田島~会津若松。5時間座りっぱなしでエコノミー症候群になるかと思った。
(駅名長い。)
これらの写真見てもらえばわかるんですけど、雪です。
東北は雪が降ってました。
山のこちら側と向こう側じゃ気候も何もかも違っちゃいますね。
そして、乗ってる電車も昭和の哀愁漂うボックスシート。(これは会津鉄道)
ぼくはボックスシートが大好きです。
いかにも旅っていう感じがするじゃないすか。
更に言うならば、時間がかかる方が良いです。
もし「どこでもドア」があって世界中瞬時に行けるようになったら、旅は意味をなさなくなるのではないか。
場所はそこにあるが、心持ちと思考がたどり着くにはすごく時間がかかる。移動時間とはそのためにあるのだろう。
この言葉に刺されました。そうなんです。どこでもドアがあっていいのは通勤通学のときだけでいいんです。
旅に時間がかかることで自分の心が整理されたり、ワクワクが増幅したりと、日常生活と非日常の切り替えをする機能が時間に備わってると思うのです。
もちろん新幹線も好きです。けど速さを得た引き換えに旅愁が失われた気がして少し寂しい。
出来ることなら京都にもローカル線で行きたい。
話を戻しましょうか。
今回回れたのは鶴ヶ城のみ。年末年始はどこもあいてないですね。
(わかりにくいかもしれないけど、瓦は赤です。日本で唯一かも。)
ここは戊辰戦争が進む中、奥羽越列藩同盟の拠点として使われ、会津戦争の際には1ヶ月以上籠城したとか。
なお新政府軍の大砲でボコボコの模様。
そこから一回崩してまた再建したのが今の形です。
天守閣からはこんな感じ。ずっと曇ってた。
そして高い建物が無いから遠くの山まで見渡せる。
そんなこんなで鶴ヶ城を後にして、
ここで夕飯。1人で5千円近く使った。 (@ もつ焼き まこっちゃん in 会津若松市, 福島県) https://t.co/rnYIGPhNoe
— ㍿スギちゃん㌠ (@Hornet_727) 2016年12月31日
モツ焼き食べました。めちゃ美味い。特にシメのたまご雑炊が。
そんなこんなで会津若松を後にしました。本当は相馬とかにも行きたかったのですが、あまりにも電車の本数が少なすぎて2日まで横断しそうだったので今回は断念。また3月に今度は竜田に足を運ぼうかと。
さて、ここまで旅のおさらいをしてきましたが、過去にも何度か一人旅をしてきました。
秩父、箱根、松本…
なるべく地方に行くことを心がけています。(ぜんぜん行けてないけど)
それはなぜか。
理由は「そこに日本があると思うから」。
普段暮らしていると、どうしても東京神奈川のエリアばかりに目が向いてしまい、そこの暮らしを支えているモノに目が行きづらいと思うのです。
もちろん東京も日本。だけど、日本のようで日本でない。
いうなればバチカン市国みたいな。違うかも。違うな。
コンビニの店頭におにぎりサンドウィッチが並ぶことをどこか当たり前のように感じていたり。
24時間お店が開いているのが当たり前になりつつ時代、それを支えるのは東京以外の地方なわけです。
東京が東京として自立していられるのも、地方の支え・犠牲が伴って支えられている。
そういう意識が、人々の中から徐々に薄れていってる気がしてならないと感じます。
会津若松はまだ栄えてるにしても、そこまでの道はやっぱり栄えているようには見えなかった。
これら写真を見てもらえばわかるけど、歩いて5分の距離にコンビニなんてない。あるのは、畑。
ここが日本を支えているんだ、ここが日本なんだ、と。
そういう意識を取り戻すために、僕はまた地方に行く。
料理屋で、女将が言った。
福島の米は、美味いんだ。なぁそうだろ、お客さん。
あたしはそれが伝わんねぇのが悲しくって。
そう語る目には、一筋の涙。
引き金を引け!言葉は武器だ!
どうもです。
やること残ってるけど少しだけ。
先程、俳優の成宮寛貴さんが芸能界引退を発表されました。
みなさんも衝撃を受けていると思います。
僕もかなり衝撃を受けました。
結局検査結果も陰性で、ねるねるねるね説がいよいよ仮説の域を超え始めたのではないでしょうか。(僕はケーキ屋さん説を推してます)
さて、今回のタイトル「引き金を引け!言葉は武器だ!」なんですが
僕の大好きなかた、寺山修司さんの残した言葉の一つです。(本当はもっと長い)
その言葉のとおり、「言葉」って武器なんです。
自分を守る事もあるし、他人を傷つけるモノでもあるし。
書いた文章を人に見てもらっている立場の端くれでもそこは意識しています。
今回の件を報道したフライデーは、過去にもビートたけしが「フライデー襲撃事件」を起こすなど、時たま過度な取材を行うような雑誌です。
これはフライデーに限らず週刊文春などにも同じことが言えるのだけれども。
言論・表現の自由を盾に取り、自分の雑誌が売れるためには何をしても構わないといったような風潮は少し良くないな、と感じています。
もしかしたら成宮さんサイドが陰性と偽っている可能性もなくはないですが。(事務所発表なので)
※追記
どっちかっていうとセクシュアリティの問題の方が根深いですね。
俳優という職業でご飯を食べている彼らにとって、特に成宮さんのようなイケメン俳優にとって、撮影中のラブシーンとかは避けられないですよね。
その時に「セクマイ」の印象が視聴者の脳裏にちらついてしまうことそれ自体が俳優にとっては致命的なことだと思うんです。
セクマイ自体に罪はありません。それに寛容じゃない社会に罪があると思ってます。
自分がそういう存在だっていうことを告白する事って自分には想像もつかないほど勇気のいることだと思います。それを思わぬ形で暴露されてしまったことからくる人間不信が引退を加速させてしまったのかなって少し考えました。
あとこれはちょっと分からないけど、映画『怒り』を見ていただけると今回のことが少しわかるのかもしれない。
よければこちらもご一読ください。
※追記ここまで
自分たちの言葉1つで人の人生を狂わせることになる
そういうことを書く人は肝に銘じて、欲しいです。僕ももう一度命じます。
「たかが言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。引き金を引け!言葉は武器だ!」
では、失敬。
「もはや『戦後』ではない」
どうもどうも
ご無沙汰しております。
ようやく忙しい時期が終わって、このようにブログを書く時間が取れました。
まぁ忙しい原因は自分にあるんですけど。
ブログがぽんぽこ書ける人って、あんまりSNS(twitterとか)で発言しない傾向が強いなって最近思って。
twitterで呟くことで、僕なんかは8割くらいネタを消化してしまうんですけど、彼らは発言しない分ネタに余裕が生まれてる。
そこの違いが継続性に繋がってるくるのではないでしょうか。
まぁ当ブログの方針は以下を読んで頂いてご理解ください。更新頻度については触れ無い方向性で。
さぁ、というわけで今回のお話はこちら。
「もはや『戦後』ではない」
聞いた事あるでしょ。これ。
1956年に内閣府から出された「経済白書」の中に書かれた一文です。本当の初出はあの文芸春秋らしいですけど。詳しくはこちら( https://ja.wikipedia.org/wiki/経済白書 )を。
で、なんでこれなのか。
【速報】トランプ大統領 爆誕
— ㍿スギちゃん㌠ (@Hornet_727) November 9, 2016
もう一回「永続敗戦論」を読む時期に差し掛かっているのかもしれない。
— ㍿スギちゃん㌠ (@Hornet_727) November 9, 2016
この2つのツイートがきっかけになってます。
ちょうどトランプが大統領選で勝った日のツイートです。
トランプの発言はニュースでもよく取り上げられてて、日本についても物議を醸しそうな(既に醸してるのか)発言をしてますね。
その中でも、基地の金払わなかったら撤退するとか。それに付随するかのように噴出した国防軍の創設とか。再軍備化とか。
そういうのを踏まえたうえで、もう一回『永続敗戦論』を読むべきなのでは、と思い、この間読み返しました。(こちら↓)
簡単な内容を紹介すると、「対米従属」の構造を「敗戦の否認」という立場から読み解いたもの。
トランプが大統領になるという歴史的なパラダイムの変遷の時だからこそ
この対米従属構造からの、戦後レジームからの、そして「戦後」というある意味一つの時代区分からの脱却の時期なのではないかと思って今に至っております。
僕の中では2016年11月9日を以て「平成元年」といいたい。
それは未だ「戦後〇〇年」という言葉が蔓延っているこのご時世において、「もはや戦後ではない」という言葉は欺瞞でしかなく、むしろ「戦後」が1つの元号として機能しつつあることからこのような考えが生まれた。
この言葉が使われる限り、日本は敗戦を乗り越えることは出来ない。
独立国なんだけど、いまいち独立しきれてないこの国がきちんと立つには、今回の選挙結果は良い方に転んだのかもしれないと感じるようになった。まだ微妙だけど。
だからこそ、「もはや『戦後』ではない」のだ。
これからようやく平成の世が始まるのか、それとも「平」和が「成」りたつ時代の終わりが始まるのか。
政府の行動に注目したい。
では、失敬。