挽歌
百貨店の死は、時代の流れなのかもしれない。
僕らの中の「特別」な時間を与えてくれる場所としての百貨店は、もう必要とされていないのだろう。
松戸伊勢丹が、閉店した。
この街の誇りと言ってもよいくらいだった。
伊勢丹には思い出がたくさんある。
七五三のお祝いの会食を、築地植むらでやったことも。米寿の祝いを銀座アスターで開いたことも。誕生日のケーキを地下のアンテノールで買ったことも。アンデルセンのミニバラを英会話塾の帰りに買ってもらったことも。うれしいことがあった日に、ちょっと奮発してカップにアイス2つ乗っけてもらったことも。
挙げればキリがないが、そういう自分の中での「特別」を、ささやかながら祝い続けてきたのが僕の中の伊勢丹像だ。
それが終わる。
結果的には、市民はもう「特別」を求めていなかった。
伊勢丹の写真室で写真を撮ってもらうことの特別感。自分が愛されているということの確認。
百貨店の喪失は、愛の喪失といってもいいかもしれない。
そういうお話でした。
跡地は、きっと住友不動産あたりが買い取ってタワーマンションにしてしまうと思うので、寂しくなりますね。
フランク・シナトラ的に言うならば
「倹約を美徳とするならば、愛しい時間は何になる…?」
君の名は。
昔から、名前を覚えることは得意なことだった。
例えば電車の車両の名前だったり、国の名前だったり。その名称を覚えること自体は単なる雑学の範疇にとどまるのかもしれないが、それをすることで子供ながらにアイデンティティを見出していた頃があった。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
「お前、名前は?」
「山田です」
「それは知っている、私は君の名前を聞いているんだ」
といって見事にフルネームを言わせるという田中角栄の有名なエピソードがある。彼も名前を覚えるのは得意だった。
就寝前には政官要覧をじっくりと眺め、以て官僚を掌握せしめた人物だ。
人の名前を憶えていることは、憶えられている側の立場からしたらどうなのだろうとこの話から考えたことがあった。
結論としては、そこにはある種の感動と、承認欲求の充足があるのではないかという考えに至った。
個人の経験則でしかない。
名前を呼ばれることにはその関係の中において他者にしっかりと記憶されうる存在であったということに対する感動、それがひいては承認欲求を満たす要因になりうること。
マズローの欲求階層構造においては社会的欲求が満たされた状態とでも言おうか。
角栄はこの承認欲求を利用して、更なる貢献へ(そして昇進へ)とベクトルを向けさせることで官僚を掌握したのではないかとぼんやりと考えたことがある。
そういうことを考えていくうちに、人の名前を憶えておくことの重要性というのをうすぼんやりと実感したのである。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ー
ふとそんなことを成人式の最中に思い出した。
それだけ。
「俺のこと覚えてる?」って友達が話しかけてきたときに、それを言わなきゃいけない相手のことを考えたときに少し胸が苦しくなった。
不安からくる忘れられてないかの確認は、忘れないでの脅迫に思えた。
【はたちになった】ここらで一息ついてもいいよね。
ー芦ノ湖にて。
20歳になった。
人生80年として、1/4が経過したんだが、これをあと3回繰り返すのかと思うとなかなかしんどい。
でもこうやって今ここに生きているのは、どうもすごいことらしい。
最近『旅をする木』という写真家の星野道夫が執筆した短編集を読んでいる。
その中の「春の知らせ」では、アラスカでの動物たちの生きる厳しさが非常に丁寧に描かれている。
カリブーの仔どもが寒風吹きすさぶ雪原で産み落とされるのも、一羽のベニヒワがマイナス50度の寒気の中でさえずるのも、そこに生命のもつ強さを感じます。けれども、自然はいつも強さの裏に脆さを秘めています。
(中略)
そういう脆さの中でい私たちは生きているということ、言いかえれば、ある限界の中で人間は生かされているのだということを、ともすると忘れがちなような気がします。
なんだか生きていることが当たり前なんだけど、そういう世界もあるってことを忘れていた。
20年目を迎えた今、大学のこととか資格のこととか、色々追われて、何となくで生きている気がしてるから、そろそろここらで一息つきたい。
ここで一息ついて、これからどうしようかとか、少しずつ考えながら、また人生歩んでいけばいいのかな。
やっぱり人間でもなんでもそうなんだけど、1回休まないとダメよね。
では、失敬。
二十歳になれば。
POPEYE二月号『二十歳のとき、何をしていたか?』の前文にはこう書いてある。
”偉業”の始まりが二十歳にあるという人は多かったりする。
”大事”をなすことのみが”素晴らしき二十歳”ではないし、人生の全てが二十歳で決まってしまうわけではない。でも、二十歳の時に必死で頑張ってみたり、何かを始めてみるのは、きっといいものだ。
ところで。
「ナツイチ」という集英社文庫の夏のキャンペーンの中に朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』が紹介されていた。
朝井リョウは、この本を弱冠19歳で執筆したらしい。
現在、僕は19歳と345日。
”大事”をなすことだけが人生じゃないけど、でもやっぱ男に生まれたからには何か”大事”の一つや二つくらい成し遂げたいよね。
二十歳になれば、二十歳になる今年が、僕にとっての大事の起点となるのか。
いろいろ頑張らないとと思った、そんな夜。
吾輩は猫である。名前は…
僕の家には昔、黒猫がいたという。
名前は「クロマティ」
当時活躍していた助っ人外国人プロ野球選手と、毛の色合いとをかけて名付けられた。
時に名前とは呪いのようであり名付けられたモノの人生を縛りつける。
彼の名前もそうであり、僕の名前もそうである。
「黒猫が目の前を横切ると不吉なことが起こる」とはよく言ったもので。
我が家の空気の澱んだ感じはこの家の中を幾度となく歩き回ったことに起因しているのではないかと疑うときもある。
彼はとても長生きだった。
15年生きたという。ただ亡骸もなければ墓もない。
彼は最期をどこで迎えたのか、誰も知らない。
いつの間にか出ていった。
孤独を愛しているかのような素振りをしつつも実は誰かからの愛情を求めているその姿は、実に人間らしく僕の目には映る。
命日が分からない彼を、今日くらい偲んでも化けて出てきやしないだろう。
ましてや、目の前を横切るなんて、ね。
【旅のまとめ】ぼくが地方に行く理由
新年あけましておめでとうございます。
あけたけど、去年と何ら変わらない日常を過ごしております。
みんなお年玉もらった?それとも従兄弟にあげた?
さすがにもう貰える年齢ではないらしく、今年は0でスタートです。つらい。
さて、去る2016年12/31から2017年1/1にかけて、福島は会津若松に行って年を越しました。
(ほうじ茶おいしい)
ルートは北千住~会津田島~会津若松。5時間座りっぱなしでエコノミー症候群になるかと思った。
(駅名長い。)
これらの写真見てもらえばわかるんですけど、雪です。
東北は雪が降ってました。
山のこちら側と向こう側じゃ気候も何もかも違っちゃいますね。
そして、乗ってる電車も昭和の哀愁漂うボックスシート。(これは会津鉄道)
ぼくはボックスシートが大好きです。
いかにも旅っていう感じがするじゃないすか。
更に言うならば、時間がかかる方が良いです。
もし「どこでもドア」があって世界中瞬時に行けるようになったら、旅は意味をなさなくなるのではないか。
場所はそこにあるが、心持ちと思考がたどり着くにはすごく時間がかかる。移動時間とはそのためにあるのだろう。
この言葉に刺されました。そうなんです。どこでもドアがあっていいのは通勤通学のときだけでいいんです。
旅に時間がかかることで自分の心が整理されたり、ワクワクが増幅したりと、日常生活と非日常の切り替えをする機能が時間に備わってると思うのです。
もちろん新幹線も好きです。けど速さを得た引き換えに旅愁が失われた気がして少し寂しい。
出来ることなら京都にもローカル線で行きたい。
話を戻しましょうか。
今回回れたのは鶴ヶ城のみ。年末年始はどこもあいてないですね。
(わかりにくいかもしれないけど、瓦は赤です。日本で唯一かも。)
ここは戊辰戦争が進む中、奥羽越列藩同盟の拠点として使われ、会津戦争の際には1ヶ月以上籠城したとか。
なお新政府軍の大砲でボコボコの模様。
そこから一回崩してまた再建したのが今の形です。
天守閣からはこんな感じ。ずっと曇ってた。
そして高い建物が無いから遠くの山まで見渡せる。
そんなこんなで鶴ヶ城を後にして、
ここで夕飯。1人で5千円近く使った。 (@ もつ焼き まこっちゃん in 会津若松市, 福島県) https://t.co/rnYIGPhNoe
— ㍿スギちゃん㌠ (@Hornet_727) 2016年12月31日
モツ焼き食べました。めちゃ美味い。特にシメのたまご雑炊が。
そんなこんなで会津若松を後にしました。本当は相馬とかにも行きたかったのですが、あまりにも電車の本数が少なすぎて2日まで横断しそうだったので今回は断念。また3月に今度は竜田に足を運ぼうかと。
さて、ここまで旅のおさらいをしてきましたが、過去にも何度か一人旅をしてきました。
秩父、箱根、松本…
なるべく地方に行くことを心がけています。(ぜんぜん行けてないけど)
それはなぜか。
理由は「そこに日本があると思うから」。
普段暮らしていると、どうしても東京神奈川のエリアばかりに目が向いてしまい、そこの暮らしを支えているモノに目が行きづらいと思うのです。
もちろん東京も日本。だけど、日本のようで日本でない。
いうなればバチカン市国みたいな。違うかも。違うな。
コンビニの店頭におにぎりサンドウィッチが並ぶことをどこか当たり前のように感じていたり。
24時間お店が開いているのが当たり前になりつつ時代、それを支えるのは東京以外の地方なわけです。
東京が東京として自立していられるのも、地方の支え・犠牲が伴って支えられている。
そういう意識が、人々の中から徐々に薄れていってる気がしてならないと感じます。
会津若松はまだ栄えてるにしても、そこまでの道はやっぱり栄えているようには見えなかった。
これら写真を見てもらえばわかるけど、歩いて5分の距離にコンビニなんてない。あるのは、畑。
ここが日本を支えているんだ、ここが日本なんだ、と。
そういう意識を取り戻すために、僕はまた地方に行く。
料理屋で、女将が言った。
福島の米は、美味いんだ。なぁそうだろ、お客さん。
あたしはそれが伝わんねぇのが悲しくって。
そう語る目には、一筋の涙。