【旅のまとめ】ぼくが地方に行く理由
新年あけましておめでとうございます。
あけたけど、去年と何ら変わらない日常を過ごしております。
みんなお年玉もらった?それとも従兄弟にあげた?
さすがにもう貰える年齢ではないらしく、今年は0でスタートです。つらい。
さて、去る2016年12/31から2017年1/1にかけて、福島は会津若松に行って年を越しました。
(ほうじ茶おいしい)
ルートは北千住~会津田島~会津若松。5時間座りっぱなしでエコノミー症候群になるかと思った。
(駅名長い。)
これらの写真見てもらえばわかるんですけど、雪です。
東北は雪が降ってました。
山のこちら側と向こう側じゃ気候も何もかも違っちゃいますね。
そして、乗ってる電車も昭和の哀愁漂うボックスシート。(これは会津鉄道)
ぼくはボックスシートが大好きです。
いかにも旅っていう感じがするじゃないすか。
更に言うならば、時間がかかる方が良いです。
もし「どこでもドア」があって世界中瞬時に行けるようになったら、旅は意味をなさなくなるのではないか。
場所はそこにあるが、心持ちと思考がたどり着くにはすごく時間がかかる。移動時間とはそのためにあるのだろう。
この言葉に刺されました。そうなんです。どこでもドアがあっていいのは通勤通学のときだけでいいんです。
旅に時間がかかることで自分の心が整理されたり、ワクワクが増幅したりと、日常生活と非日常の切り替えをする機能が時間に備わってると思うのです。
もちろん新幹線も好きです。けど速さを得た引き換えに旅愁が失われた気がして少し寂しい。
出来ることなら京都にもローカル線で行きたい。
話を戻しましょうか。
今回回れたのは鶴ヶ城のみ。年末年始はどこもあいてないですね。
(わかりにくいかもしれないけど、瓦は赤です。日本で唯一かも。)
ここは戊辰戦争が進む中、奥羽越列藩同盟の拠点として使われ、会津戦争の際には1ヶ月以上籠城したとか。
なお新政府軍の大砲でボコボコの模様。
そこから一回崩してまた再建したのが今の形です。
天守閣からはこんな感じ。ずっと曇ってた。
そして高い建物が無いから遠くの山まで見渡せる。
そんなこんなで鶴ヶ城を後にして、
ここで夕飯。1人で5千円近く使った。 (@ もつ焼き まこっちゃん in 会津若松市, 福島県) https://t.co/rnYIGPhNoe
— ㍿スギちゃん㌠ (@Hornet_727) 2016年12月31日
モツ焼き食べました。めちゃ美味い。特にシメのたまご雑炊が。
そんなこんなで会津若松を後にしました。本当は相馬とかにも行きたかったのですが、あまりにも電車の本数が少なすぎて2日まで横断しそうだったので今回は断念。また3月に今度は竜田に足を運ぼうかと。
さて、ここまで旅のおさらいをしてきましたが、過去にも何度か一人旅をしてきました。
秩父、箱根、松本…
なるべく地方に行くことを心がけています。(ぜんぜん行けてないけど)
それはなぜか。
理由は「そこに日本があると思うから」。
普段暮らしていると、どうしても東京神奈川のエリアばかりに目が向いてしまい、そこの暮らしを支えているモノに目が行きづらいと思うのです。
もちろん東京も日本。だけど、日本のようで日本でない。
いうなればバチカン市国みたいな。違うかも。違うな。
コンビニの店頭におにぎりサンドウィッチが並ぶことをどこか当たり前のように感じていたり。
24時間お店が開いているのが当たり前になりつつ時代、それを支えるのは東京以外の地方なわけです。
東京が東京として自立していられるのも、地方の支え・犠牲が伴って支えられている。
そういう意識が、人々の中から徐々に薄れていってる気がしてならないと感じます。
会津若松はまだ栄えてるにしても、そこまでの道はやっぱり栄えているようには見えなかった。
これら写真を見てもらえばわかるけど、歩いて5分の距離にコンビニなんてない。あるのは、畑。
ここが日本を支えているんだ、ここが日本なんだ、と。
そういう意識を取り戻すために、僕はまた地方に行く。
料理屋で、女将が言った。
福島の米は、美味いんだ。なぁそうだろ、お客さん。
あたしはそれが伝わんねぇのが悲しくって。
そう語る目には、一筋の涙。