名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

何もかも、あの机と椅子がセットになったモノが悪い。

f:id:blackrock727:20180201230722j:plain

何なんだこの机と椅子がセットになったやつ。最悪だろ。

 

前の奴の貧乏ゆすりが後ろに座ってるこっちまで響いてくるし。

 

しかも動かせないし。

 

これこそが大学の自由を剥奪している根源だろ。


空間デザインとして最悪じゃないですか? 机と椅子が動かせないって。

これじゃあコミュニケーションの向きが教室前方から後方に向けての一方向になって、活発な議論とかできないよ。

 


たぶん小中高の最大の強みはここにある。

 

つまり「机と椅子が分離した状態で与えられて、かつ自由にそれを移動させることができる」こと。

 

大学とかで目指されるシティズンシップだとか教養教育だとか、そういうものの始まりというか第一歩は他者との対話や議論が必要だ。

 

つまりは双方向的な意思伝達が必要となってくる。

話し合いの場としては、お互いが机を突き合わせて向き合えるというのが空間デザインとしては最適じゃないだろうか。資料も置けるし。

 

小学校の授業とかで「みんなと話し合ってみましょう」と言われたときに自分の机と椅子を動かして班の形にしたと思う。

それって人類が長い歴史をかけて考えてきた対話の形の中で(今のところ)最も優れた形であるのは間違いないと思う。初等教育の中に組み込まれるくらいだし。国語とか算数とかと同レベルで重要な気づきを与えているのではないだろうか。

 

この小学校から綿々と受け継がれてきた班の形というのが、大学になって突然消滅してしまうのはなぜなのだろうか。検討の余地はありそうだ。ちなみに1970年代にはすでにあったという。父親談。

 

双方向の意思伝達をするときというのは、お互い向き合うことが一番伝わる度合いとしては強いというのはきっと先行の研究であきらかになってるはず。知らんけど。僕はそう信じてるけど。

 

しかしこの机をよく見てほしい。横の人と話す分にはいいけど、後ろの人と話すには自分が相手に対して垂直方向に座らないといけないのだ。会話のキャッチボールが成立しづらいったらありゃしない。最悪だ。聞く耳半分にもなるだろう。

言うならば、ピッチャーは振りかぶって第1球をキャッチャーに向かって投げなければいけないのに一塁に向かって思いっきり牽制球を投げてるみたいなもんだ。違うか。

 

にしても大学の授業で求められる活発な議論はこの机じゃちょっと厳しそうだ。

カルチェラタンもどこへやらといった感じだ。

 

学園祭にしたって、こんだけ可動不可な机の教室ばっかりじゃ、やれることが限られてきちゃうと思う。

 

もちろんすべての教室がこうというわけではない。きちんと可動式の机と椅子が整備されている教室もある。

都心の大学においては土地も狭く、どうしても大人数を裁かないといけない方法としてこの方法は至って合理的な配置だ。

 

ただ、自由の学府を謳っておいて、ゼミ教育が早期からやってることをウリにする大学ならもう少し机と椅子を自由に動かせる教室があった方がいいんじゃないという話。

あとは10号館の教室は足音がめちゃめちゃ響くのどうにかしてもらいたい。

 

 

お風呂上がりの殴り書きなのでご容赦。