挽歌
百貨店の死は、時代の流れなのかもしれない。
僕らの中の「特別」な時間を与えてくれる場所としての百貨店は、もう必要とされていないのだろう。
松戸伊勢丹が、閉店した。
この街の誇りと言ってもよいくらいだった。
伊勢丹には思い出がたくさんある。
七五三のお祝いの会食を、築地植むらでやったことも。米寿の祝いを銀座アスターで開いたことも。誕生日のケーキを地下のアンテノールで買ったことも。アンデルセンのミニバラを英会話塾の帰りに買ってもらったことも。うれしいことがあった日に、ちょっと奮発してカップにアイス2つ乗っけてもらったことも。
挙げればキリがないが、そういう自分の中での「特別」を、ささやかながら祝い続けてきたのが僕の中の伊勢丹像だ。
それが終わる。
結果的には、市民はもう「特別」を求めていなかった。
伊勢丹の写真室で写真を撮ってもらうことの特別感。自分が愛されているということの確認。
百貨店の喪失は、愛の喪失といってもいいかもしれない。
そういうお話でした。
跡地は、きっと住友不動産あたりが買い取ってタワーマンションにしてしまうと思うので、寂しくなりますね。
フランク・シナトラ的に言うならば
「倹約を美徳とするならば、愛しい時間は何になる…?」