名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

無題

最近は、いい生活をやっている。

 

例えばコップにウォッカ注いで飲みながら勉強したり、映画観たり。

街の中華屋で美味しい中華料理食べながら、流れるNHKをボケっと観たり。

夕暮れ時に駅のホームでハイボールの濃いめ飲んで、ほろ酔いのまま家路に着いてみたり。

ちょっと疲れたなって思ったら銭湯寄ってデカい湯船にザブンと浸かるとか。

 

学生生活も残りわずかで、皆狂ったように海外旅行に行く。それはそれで楽しい、良い生活だと思う。ここまでデカくまとまった休みなんて会社辞めた時くらいしか取れないだろうし。

 

でもこう、なんだろう。日常生活の延長みたいな所で自分の御機嫌を取っていく術をひたすら探していくのも、それはそれとしてまた違った楽しさがある。

ある意味目の前のタスクに対して思考停止で先延ばししてるんだけど、時々止まらないとやっていられないというか。もう素面じゃ何にもできないんじゃないかというか。

 

まぁなんですか。みんなも各自でいい生活、やっちゃってください。

 

 

1月

笑っちゃうくらい予定がほとんど入ってなかった。

元日から洋服のセールの販売補助のアルバイトを突っ込み、虚無になりながらひたすら洋服を畳む。子供服売り場の店舗であった。サイズ展開が幅広ければ、ボーイズもガールズもある。累計1万枚は畳んだじゃなかろうかというくらい、客がひっちゃかめっちゃかにしていく売り場を歩き回り見た目を整えた。

 

アパレルの販売員は、僕には合わなかった。得られた知識は百貨店のバックヤードの仕組みと、在庫の保管場所のみ。

心を虚無にしてただひたすら雇用主から賃金を掠め取ることを考えるならばこれほど(退屈だが)楽な仕事かつ体面のいい仕事はないだろうなと思う。

今の職場は常にやることがあるのでそれとの落差が凄い。カウンター接客も何か知識が得られるのかどうかは甚だ疑問であるが、洗い物は日常生活でも使うスキル(スキルか?)だからまだいいんじゃないかの気持ちがある。

給与は2万ちょっとだった。

 

上旬。高円寺のたちばなへ行った。

無限餃子がウリだが、結局3枚食べれば満足しがちである。いつも2ダース分くらい食べるぞって意気込むものの結局話したり飲んだりしてる間に「いや別にこれ以上食えなくないか……」みたいな気持ちが沸き起こってしまい、諦める。

昨年末に好きだった人に振られた話をメインに、愛されたいとかどうやったら愛されるのとか、女子会の終盤みたいな話を終始やり、1人終電を逃して解散。

池袋から春日通りを通ってしばらく歩いて、茗荷谷辺りでギブアップして魔法のカードで帰宅。自宅に帰ったら革靴の踵がめちゃくちゃすり減ってて萎えながら就寝。

酒を飲んだあと終電逃して夜歩くのは本当に気持ちがいいけれど、毎回やらなきゃ良かったの連続であり、酔いが覚めてから後悔に苛まれる。ただそれを含めたワンセットをやれるのも今のうちだけであり、あともう1回くらいやりたい気持ちがあったりなかったり。

 

下旬。サークルの同期と飲む。

ここもまた1次会は餃子だった。しかし別にそこまでたくさんの餃子は出てこなかった。3,500円という値段の割に料理がそこまでだなという気持ちのまま2次会に行く。

2次会にはサイゼリヤを選択。本当に最高の選択だったと思う。俺は1回くらいはファミレスを2次会の場所に選定しよう選定しようと思いながら生きてきたが結局鳥貴族やら大都会やらに落ち着いてしまうきらいがあった。

サイゼリヤのマグナムの白ワインを1本頼んで各々注ぎながらミラノ風ドリアとかエスカルゴとかグリーンピースと温玉のやつとか適当につまむ。ここでもまた失恋話とか挟みつつ、あーだこーだ話をして解散。

誘ってもすぐ予定が決まりやすい人間たちは本当に誘いやすい。

卒業までにまた飲もうと誓いつつ夢の中へ……

 

2月

予備校のテストが3週にいっぺんだったのがほぼ毎週になり、予備校サイドから"いよいよ本格的にやっていくぞ"のハッパがかかる。今のところの成績は全受講生の10%~15%以内をウロウロしながら微妙な点数を取り続けている。

このままの成績を維持出来れば安泰なような気もするが、しかしながらこのままではダメなような気もする。それは昨夏の試験に落ちているが故に妙に神経質になっているだけであるのかどうか……。

今年こそは…今年こそは……と思いながら毎年やっているが、結局本腰入れてやったろうみたいな気持ちになったのはやはり就職して諸々必要になった瞬間からである。人の目が無いと諸々出来ない性分は昔から変わることもなければこの先も恐らく変わらないんだろうなと暗澹たる気持ちになりながら、それでもやっていくしかないんやという気合いで今日も机に向かう。

 

2月上旬。

同期と、歌舞伎座裏手の銀之塔ビーフシチューを食べに行く。

僕が料理屋の情報を仕入れる時はPOPEYEを読むか平松洋子さんのエッセイを読むかのいずれかである。この店は平松さんのエッセイに掲載されていた。

冬はやはり鍋モノに限る。土鍋になみなみと入ったビーフシチューはそれほど味も濃くなく、サラリとした口当たりで大変美味しい。ホロホロになるまで煮込まれた牛肉をレンゲで崩しながら1口。そのまま茶碗のご飯を1口。美味い。行儀が悪いが、シチューを茶碗のご飯に少しかけて1口。美味い。ビールを1口。最高。

少し値は張ったが、寒い中食べに来てよかったと思う。普通の飲み会が嫌いなわけではない。飲み会に出てくる食事といえば王道の揚げ物/焼き鳥であり、変わらぬお前たちで嬉しいという気持ちはありながらも、どちらかと言えばホッとするような食事ではない。たまにはこういった変化をつけてお酒を飲むのも悪くないなと思ったりする。熱燗があれば尚更である。

寒い時期に暖かいもの食べて英気を養って2月乗り切るぞみたいな話をしたりして、解散。

 

2月週末。

サークルの男子会が開催。諸先輩方が卒業してもこうやって集まって飲める関係性であって良かったとしみじみ思う。

こうして集まる度に、先輩方は先輩であるが故に自分よりも先に社会の酸いも甘いも経験して我々後輩一同にありのままの所感を伝えてくれるが、中間にいる自分は何かしらを後輩に残してきただろうか/残せただろうかを考えてしまう。結局残せたものは、今こうして毎日のようにお酒を飲んでいるものの何とかやっている姿勢だけであり、いいんだか悪いんだか、頼もしいんだか情けないんだかという気持ちに……。

こういった大人数のホモソーシャルな結びつきは後にも先にも今のこの男子会のみであろうし、そうあって欲しいと願う。肩肘張らない同性間の結び付きは、あればあるだけ帰るべきホームの場所が増えるという意味で良かったりする。だが、もうこれ以上増えても大事にしきれず蔑ろにして結果焼け野原になってしまうのではないか、あるいは自分が抱えていられる容量を大きく超えてしまうのではないかといった恐れや不安がある。

今この関係性ばかりを固執しすぎ無い程度にしたいと思うが、それと同時に抱えていられる今現在の関係性を大事にしないといけないなとの思い。そこのバランスは崩さずに上手く維持出来たらいい。

 

2月中旬

Men I Trustの来日公演を見るために大阪へ。

中国を中心に日本でも国内におけるCOVID-19の蔓延が気になる中、来日公演を実施してくれて本当に感謝しかない。

このバンドを知ったのは、同じカナダ出身のドリームポップバンドであるAlvvaysのMVをYouTubeで観ている時に関連として出てきたtailwhipのMVを観たことがきっかけである。

Voのエマの声と、キーボード、ギターが織りなすゆったりとした音色はイヤホンを通して聞くよりも実際にライブに行く方が何倍も気持ちよい。手に持ってたハイネケンを飲むのも忘れる程に流れる音楽に揺られ、喉を通る頃にはすっかり生ぬるくなっていた。

高倉健が銀幕の中でバッサバッサと人を斬り倒していく姿に自分を重ね、劇場を出る頃にはまるで自分が銀幕の中の高倉健になったかのように肩で風を切って街をそぞろに歩いていく、といった話が寺山修司の本の中にあったが、気分はまさにそれである。肩をそびやかしながら戎橋のほうなどをちょっと散策しつつ、餃子の王将でラーメンセットとビールを頼んでサクッと夕飯を済まし、宿近くのコンビニでスミノフを買って飲みながら就寝。

 

翌日、万博記念公園を経由して京都へ。

森見登美彦の『太陽の塔』を読んでから急に太陽の塔が見たくなってしまい、帰途のついでに寄る。やはりデカい建築物は良い。そして意味が分からなければ分からないほど良い。俺は早くPL教団のあのクソでかいタワーとかをみたい。万博記念公園にはヴィレヴァンの出張店舗があり、お土産にコップのふちに引っかかるタイプの太陽の塔のフィギュアを手にし、一路京都へ……。

 

京都で昼食を済ます。

前から気になっていた寺町通りを御池通から上った途中にあるトラモントへ。この時期限定の牡蠣のクリームパスタを注文する。普段通されることのなさそうなカウンターの席に訳アリで通され、ホールに立つ老齢のおばちゃんや洗い場のバイトさんたちと仲良くなる。同じ喫茶とはいえやっていることは全然違うため、一つ一つの動きを見てて感心する。

東京からわざわざ来はって、ありがとう、儲かってまっか? 東京ってどんな場所なん?みたいなことをぼちぼち話しつつ牡蠣のクリームパスタを頂く。

美味い。美味すぎて馬になるところだった。牡蠣のダシがクリームソースと絡み、1口ごとにまろやかな磯の風味が口いっぱいに広がる。小ぶりな牡蠣ではあるものの、プリっとした身は見ていて楽しくなる。濃厚な牡蠣の味はさすが海のミルクと言われるだけあると実感出来る程であった。残ったソースを、これまた美味しいで有名な進々堂のフランスパンのトーストにつけながら味わい、退店。

また来ると誓ったものの、このパスタが食べられるのもこれまた老齢の店主がカウンターに立っていられるときまでであり、これが最初で最後になるかもしれないと思いながらしみじみと雰囲気と味を反芻する。

 

おやつに六曜社地下店のミルクコーヒーとドーナツを頂く。本日のベストアンサーである。京都に暮らすとこれが毎日食えると思うと悔しくて悔しくてたまらない。六曜社は地下に限るなと毎回思う。カウンターの目の前で淹れられるコーヒー、焼かれるドーナツ、棚に並ぶキープされたボトルたち。どれをとっても正解であり、手近な場所にもこんな店が出来たらいいなと思う。

新幹線の時間も近いのでまたドーナツ食べに来ようと誓って移動。さっきから誓ってばかりである。

 

新幹線に乗る前にお土産の蓬莱の豚まんを購入。もちろん自分で食べる分も購入。ホームでビールも購入。最高のセットができあがりである。蓬莱の豚まんはテロリズムであり、そろそろ法律で規制されてもおかしくないのではないかと思うものの(倫理的には規制すべき/すべきでないの議論が既にあるが)、関西から帰る時はやはりやりたくなる。関東から行く時にシウマイ弁当は食べないが……。

個人旅行の醍醐味ここに極まれりという感じで、終始食べたいものを食べ、酒を飲み、よろしくやっていた。みんなも最高の旅行をやって欲しいなど思いつつ帰宅。

 

 

年明けた頃から後もう3ヶ月で卒業かなんてことを考えていたが、気づけばもう1ヶ月も切りそうな勢いである。

4年間はあっという間だったが、前半2年間の事はサークルの事以外まるっきり覚えていない。何をやっていたんだという気持ちに苛まれてしまうが、忘れてしまうほどのことしかしていないなら別にわざわざ思い出すほどのことでもないのかもしれない。

いわゆる「濃い」メンツだったみたいな話は、言い方としては色々バカにされがちである。しかし果たして自分はそのような「濃さ」のあることをやっていたのか振り返ると、結論ないものねだり故の僻みでしかないことに気づいてしまう。

ねだってもしょうがないので、自分で濃さを作っていくしか自分のことは救えないんだとの気持ちで、今日も魂のサルベージをする。