名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

無題

COVID-19のために、何もかもが中止になった。

仕方ないとはいえ、そこまでビビることなのかとも思う。症状が重症化した時が怖いとの話があるが、まだ若者だし大丈夫だろうと高を括る自分がいるのもまた事実である。まだ若者だし…といった言説もいつまで言っていられるのか不安であり、自分では若いと認識しつつも周りから言わせればもうおっさんだよお前、といったイタい大人にはなりたくないと思う日々である。

 

結局自分を救えるのは手洗いうがいと自分の興味関心だけであり、お前が消えて喜ぶヤツにお前のオールを任せるなとTOKIOも歌う。

生活に向けての祈りを、アーメン。

 

 

2月 中旬。同僚の子と定食屋に行く。

いつも賄いを頂いたり、うちのバイト先へ店主の方に来てもらったりと、何かとお世話になっている定食屋が22日を以て閉店となった。閉店前に顔を出しておきたいなと思い、同僚の子と食べに行こうかと話をして店へ。ささみと野菜フライの定食を注文する。奇を衒わない内容であり、シンプルイズベストの真髄を改めて口から学習する。ともすればガッツリ系に陥りがちな定食というジャンルを、ここまでさっぱりと家庭的な領域で押し止めているのは、やはり店主の妙だなと感じる。真実一路に定食とはどうあるべきか素材と向き合い、素材を活かすことでしかここまで愛されるシンプルな定食は作れない。これが食べられなくなるのは残念ではあるが、こちらがどうこう言ってどうにかなる話でもない。

食後。会計しようかという所に店主がテーブルに。伝票を握り潰して「就職祝いだから」と声を掛けられる。そんなはずではなかったが、折角の好意を無下には出来ないので有難くご馳走になる。

お天道様は見ているというのはよく言ったものだが、本当にお天道様はよく見ている。いつの事だったか忘れてしまったが店で働いている時、この店主から「手際が良い」と褒められたことがある。料理を業として営んでいる人間から(お世辞にでも)手際が良いと褒められるのは、やはり嬉しい。そういうことを言ってくれる人は本当にたまにしかいない。また別の話になってしまうが、普段来てくれるおばちゃんに「お兄さん仕事が早いね」と言われる時もあった。卒業に際して辞める話を常連に話した時、日々の接客の様子を見て「あなたなら就職してもきっと大丈夫だから」と言ってくれるお客さんもいた。本当は誰かに大丈夫と言って欲しかったのかもしれないなと思うこともある。『華麗なるギャツビー』で最後、主人公がギャツビーに対して "They are rotten crowd. You are worth the whole damn bunch put together." と語りかける場面がある。そういうことなんだと思う。

話が逸れたが、見ている人は見てくれている。それだけで嬉しかった。これらの言葉にどれだけこの1,2年支えられたか、恐らく本人たちには分からないだろう。本当にこれだけがカウンター越しの唯一の救いであり、祈りであった。今回の就職祝いの件も含め、店主には一生頭が上がらない。

 

2月下旬

名前は知ってるけど会ったことがなかった大学の人と、初めて会う。午前シフトが終わって夕方から飲み会を開くのは充実した1日というような実感がある。働いた後の酒は格別であり、全てを赦してくれるような気がするとかしないとか。待ち合わせまで時間があるので、不忍池のほとりで一番搾り500mlを片手にお先に失礼する。

 

夕方6時。相手と合流し、湯島にあるシンスケへ。

こういった、所謂大衆割烹めいた居酒屋に誘える人は限られてくる。ソフトドリンクも勿論置いてあるものの、メインは日本酒かビールであり、相応に酒が強く、更には伝統的な(伝統的な?)酒のつまみ然とした食事を好き嫌いなく食べられる人でないと共に敷居を跨ぐのは難しい気がする。そういった意味で、本当に得難い飲み友達を得られた会だった。

べったら漬けやアナゴの天ぷら、それから手羽の煮込み、安納芋で作った大学いもなどをつまんでは熱燗をちびちび飲む。最近行ったお互いの旅行の話になり、やはり旅行中は酒を飲むに限るなとの思いが強まるばかりであった。「旅行先で食べる王将のラーメンセットにビールは"正解"でしょ」と言われ、俺のやってきたことは間違ってなかったんや…と、大阪での旅行生活を振り返りつつ1次会が終了。

日本酒2合に大瓶半分ずつとそこまで飲んだ訳では無いが、お互い胃の軽さが半端ではない。「まだ8時」という甘美な響きとほろ酔いとでテンションが上がりながら2軒目の肉の大山へ。

上野のガード下でせんべろはしご酒をしたいと思って幾星霜。齢22にしてその夢がようやく叶った。肉の大山は、自社卸の肉を使った揚げ物などを格安で提供する、安く酔いたい人間にとってのメッカと言っても過言ではない店である。なんせハムカツが1コ80円。意味がわからない。本当にこの価格でいいのだろうか?

今回は中の座席で食事を摂ることにした。席についてびっくりする。対角線上に高校の先生がいたのである。話しかけこそしなかったものの、そこはかとなく気恥しい気持ちのままハイボールを口にする。本題であった話を交わし、相談事への回答を受け取るものの、今となってはなんて言われたかさっぱり記憶にない。本当に本当に申し訳が立たないが、単に話して記憶からすっ飛ばしたかっただけなような気もする。酒の席はその場の雰囲気だけが唯一持ち帰れるモノであり、話した言葉話された言葉はアルコールと共に肝臓で分解されて、体外へ排出されてしまう。

席も2時間経過し、会計を済ませ退店。「まだ10時半」を合言葉にコンビニで酒を買い、上野公園で3次花見会を決行。いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうではないが、トータルとしていつかこの夜を思い出してきっと泣いてしまうだろうと強く思う。話しててこれ程楽しいことがあるのだろうかとの思いは増すばかりである。この縁がどうか切れないように、大事に紡いでいかなければならない。

 

2月下旬 恵比寿で飲む。

中学からの付き合いのある友人は片手で数えるばかりであり、真に気の置けない人間は誰かと問われたら恐らく彼と答えるだろう。そんな友達を持てたことを心から嬉しく思う。

彼は以前、自分のことを「永遠の目標」と評したことがあった。買いかぶり過ぎではと思う反面、『愚者のエンドロール』での折木奉太郎福部里志の会話を思い出す。「俺はお前のことをもう少し高く買う、お前ならいつか日本でも指折りのシャーロキアンになれると思う。」と奉太郎が言う場面を。

自分は自分が思った以上に自分の価値を低く見積もりすぎなのかもしれない。言った本人は本当にそう思ってたのかもしれないが、もうその話もいつの頃の話だったか朧気で、今の状態を見ればやはりこんな人間が目標なんかであってたまるかという気持ちであり、早急に目標の変更を要請したい。夢はでっかく、エアコンは小さく、だ。

 

恵比寿は、高い。

1件目こそ内容的にも妥当な価格だとは思ったものの、2件目に訳わかんないバーに行ったら2人で1万取られた。バーの相場なんてそんなもんなんだろうとは思ったものの、まさか実際こんなにかかるとは思わなかった。マティーニを飲んでほろ酔い気分のまま会計をお願いして一気に酔いが覚める。命まで取られなくて良かったとほっとして帰宅。

今でさえ半年に1度くらいのペースでしか会わないが、これが今後1年に1回、3年に1回と延びていくのだろうか。どちらかが結婚なんてしたらもっとかもしれない。もう誰とも会えなくなるのだろうか。春は別れの季節、別れについて日々考えてしまう。

 

3月

友人の引越しを手伝う。

やる気を出して朝から友人宅へ行くと、家具家電の搬入は午後だという。やる気だけ先に搬入してしまい、妙に気の抜けた身体だけが残されてしまった。それでもフローリングマットを張ったり昼食と言っていいか不明の味噌汁を作ったりしながら友人宅を満喫する。

 

一人暮らしは自分の勝手があらゆる範囲で効くので大変羨ましいなと思う。これは常々言っていることでもあるが、食事の量がコントロール出来ないため無限に肥え太っていくばかりであり、大変困る。会社員になったら毎日の昼食は千切りキャベツと今から決めているが、果たして栄養状態がどうなのか気になるところではある。

家具が届く。酒を飲みながらあーだこーだ言いつつ組み立てるのは、さながらキャンプでテントを組み立てている時のようである。一人暮らしの家に行くことは秘密基地に行くようなものであり、『スタンド・バイ・ミー』を思い起こす。

いつかは積水ハウスのCMに出てくるような自分の城を築き上げたいという欲望はあるものの、果たしてそのライフステージまで自分が上昇できるか、先行きは不透明だ。先日先輩が結婚したとの話を聞き、とうとう来るところまで来てしまったなと感じた。「結婚しなくてもいい時代、それでもあなたと結婚したいのです」のコピーが巷を賑わせたのも数年前だが、ライフステージそこまで上げられんのか自分ッ…の気持ちに無駄に苛まれる3月この頃である。

 

3月  同僚の子と飲む。

彼氏との惚気話を聞かされ、日本酒6合を呷って死にかける。なんでこんなことになってしまったのだろうか。

話を聞き続けると、付き合ってない頃から通い妻をしていたらしい。妻。妻かい…。

結局通われる人を作った時点で人生ゲーム 恋愛部門においては上がりなのかもしれない。益々一人暮らしが恋しくなってくる。

 

 

別れの季節である。

新たなる出会いの萌芽でもあるのかもしれないが、そんな出会いなどあまりあるものではない。今までの何となくの関係性が途切れてしまうのはうら寂しくもあるが、その分残された手元の関係は襷のごとく肩に引っ掛けて大事に将来まで運びたい。

先日、新文芸坐のオールナイト上映でティモシーシャラメ出演作3本を観た。この感想はこれでまた改めて認めたいが、前説で「29歳問題」という話が出た。自分も初めて聞いた問題だが、どうやら30代を迎えるにあたって増大する社会的な責任感や結婚といったライフステージの上昇に対する焦燥感など、いわゆるワークライフバランスに関する問題、如何に生くべきかといった問いがこの「29歳問題」というらしい。22の現在、社会的な地位がある訳では無いため社会的責任は重くのしかかっていないが、ライフステージの上昇については常に頭の片隅で悩みの種となり、最近では発芽し花まで開いてしまった。「あなたはきっと大器晩成型ね」と言われたこともあったが、本当にそう思っているか婉曲的な何かの表現なのかは不明であり、唯ぼんやりした不安だけが投げつけられてしまい苦悩に苛まれている。芥川もかくやではあるが、一体この僕の将来に対する唯ぼんやりした不安はいつ拭えるのだろうか。