名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

最近の生活についてオフィスビルから最新の情報をお届けします。

生活には潤いがあってほしいし、日々の仕事はドラマティックでエキセントリックなものであってほしいとは常々思う。

これがデカいオフィスビルフリーアドレスの席で書かれているものとはよもや思いもしないだろうが、書いている本人ですらなんでこんなにも暇で暇で仕方ないのかと首を傾げたくなるほどに仕事は無く、日々他人のブログや学術論文、はたまた青空文庫を読むまでになってしまった。
賞与の評価があるとするならばABCDの4段階中”F”が付くんじゃないかと思われるほどに勤務態度は最悪。給与は安いし仕事はないし、よっぽど喫茶店でアルバイトを続けていたほうが仕事に対するやりがいが見いだせたような気がしている。

皆さん、仕事は頑張っていますでしょうか。
頑張ってるか、そりゃそうだわな。

 

無題

卒業‪である。

学生生活は一応終わりを迎え、初等教育6年、中等教育6年高等教育4年の足がけ16年にも及ぶ教育が終了した。終了した結果がこのザマである。これが大団円だと言えるのだろうか。決して薔薇色の青春とも言えず、かと言って青の時代だったかと問われてもればそうだとも言えず、何とも名状しがたい期間であった。

とは言え仲良くしてくれた人には感謝だし、これからもよろしくお願いいたしますの気持ちは変わらない。人生の残滓と向き合いながら泥臭く人生取っ組み合っていきましょう。

 

 

4月某日 

ある会社の内定者が自殺した、というニュースが目に入る。THE YELLOW MONKEYSの『JAM』ではないが、「内定者」の「自殺」というセンセーショナルな単語が並ぶ話題を前に僕は何を思えばいいんだろうとなってしまう。

思うことといえば、この情勢の中で恐らく多くの労働者が休業、あるいは解雇の憂き目に遭っている。そんな中自分はホテルで宿泊しながら研修を受けている。今はこのギャップのことばかり考えてしまう。

社会に不安が蔓延し、この先のことも考えられないのにこんなにも楽天的な暮らしで良いのだろうか。ある意味ハゲタカにもなりうるような業界であるが故に、死の商人への道半ば、地獄の一丁目を歩んでるんじゃなかろうかの気持ちになる。

産まれたての小鹿の如き若輩が社会に放り出されて感じるのは、社会の怖さだ。あぁ本当に弱肉強食なんだここは。今までがぬるま湯過ぎたと言えばそれまでなんだが、とはいえ今の課程が終われば(ほぼ自動的に)次の課程が待っていた。けれどもこの次の課程はもう無くて、のんべんたらりと生きるにはあまりに先が見えない。

過ごした思い出のポイントを卑下しすぎるのも良くないが、とはいえ甘く捉えてしまいがちである。そこのバランス感覚は失いたくない。

ここまでは運が良かったが、吹けば飛ぶようなモブキャラにこれから出来ることは、モブなりに力をつけて自分の足で立てるようにする他ない。

 

5月某日

お風呂で髪を洗いながら、ふと英語の4技能について思いを巡らす。

英語はわりかし得意な方だったが、書く(話すも大概だが書くに比べればまだ少しはできた)についてはてんでダメだった。表現が、というより内容が全く思いつかないタイプであった。

 

全ての問題は国語が中心だ、とはるか昔にどなたかの先生に言われた覚えがあるが、全くその通りだなと当時思った記憶がある。「読め」なければ、書けない。だから本質を捉えろ。みたいな話で、解答する上で何が聞かれていているのかが分かっていなければ当たるものも間違えてしまうよ、と。

それから「読む」ために知識的な背景を勉強し、どういう背景があって文が書かれているかを理解したことで一段階くらい成績が上がった。書きながら徐々に思い出してきたが、たぶん中学のときの話だったと思う。国語を勉強したことで連られて数学の成績が上がったのは、きっと「読め」てなかったからなんだろう。

そういうことを、考える。

 

5月某日

出勤が始まる。

ほぼひと月ぶりに電車に乗るので、初日からしっかりSuicaを忘れた。人間は1ヶ月もすると社会の仕組みをこうも簡単に忘れてしまうのかと驚く。

単純に自分の意識の問題を一般化しすぎてる面も否めないが、「あれ、そういえばどうやって電車乗るんだっけ」「あれ、そういえば初対面の人とはどうやって接してどういうこと話せばいいんだよぅ」みたいなのはゾンビのごとく付き纏ってくる。

引きこもりの人が社会に復帰するのが難しいとかいう話もここに繋がっているような気がして、要は社会におけるコードを内面化出来てない/忘れてしまったからなのではないかと思う。

辛うじて3月くらいまでは人と接していたために断片的に「あぁこうすればいいんだった」というような記憶が引き出せるが、家族だけの小さな共和圏内で長く過ごしてしまうと、社会と接続するためのコードが錆び付いてしまう。1歩家から出てしまえば忽ち社会ではあるが、社会と家族との間を取り持つような、そういうコミュニティがあると生きやすさみたいなのはぐんと跳ね上がる気がしてならない。

 

5月某日

同じ部の人が最終出勤日を迎える。

比較的中堅で、知識も豊富な何かと頼れる人が辞めるのは部としても痛手な感はあるが、とはいえ人の人生にとやかく口を出すべきではなく、明日からの生活を善く生きて欲しいと祈るばかりだ。

部内のパワーバランスや得意不得意みたいなのを最後に裏でサラッと個別に教えてもらったがその中で、初期に細々としたことを教えてもらった人が障害者雇用で採用されていることを伝えられる。

「だろうな」という気はしていたが、改めてしっかりと障害者雇用だということを言われると何だかモニョるというか。一方でこの気持ちの源泉は何だろうかという気にもなる。

 

https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/yokota-hiroshi?utm_term=.dr4D8zo2G#.ukXNLm87Z

以前、こういう記事を読んでブクマしてあった。

"障害者に対する愛と正義のエゴイズムを鋭く告発し、それを否定するとによって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉だと信じ、且、行動する"

「青い芝の会」という団体の行動綱領からの引用だが、こう、特殊な事情だからといって何かしらの配慮をすること自体に愛はあるかというか。気持ちの源泉はここなような気がしてならない。

 

 

月末はダービーである。翌週からは新馬戦が。

また新たな1年が始まる。先出しだけども、あけましておめでとうございます。

 

無題

COVID-19のために、何もかもが中止になった。

仕方ないとはいえ、そこまでビビることなのかとも思う。症状が重症化した時が怖いとの話があるが、まだ若者だし大丈夫だろうと高を括る自分がいるのもまた事実である。まだ若者だし…といった言説もいつまで言っていられるのか不安であり、自分では若いと認識しつつも周りから言わせればもうおっさんだよお前、といったイタい大人にはなりたくないと思う日々である。

 

結局自分を救えるのは手洗いうがいと自分の興味関心だけであり、お前が消えて喜ぶヤツにお前のオールを任せるなとTOKIOも歌う。

生活に向けての祈りを、アーメン。

 

 

2月 中旬。同僚の子と定食屋に行く。

いつも賄いを頂いたり、うちのバイト先へ店主の方に来てもらったりと、何かとお世話になっている定食屋が22日を以て閉店となった。閉店前に顔を出しておきたいなと思い、同僚の子と食べに行こうかと話をして店へ。ささみと野菜フライの定食を注文する。奇を衒わない内容であり、シンプルイズベストの真髄を改めて口から学習する。ともすればガッツリ系に陥りがちな定食というジャンルを、ここまでさっぱりと家庭的な領域で押し止めているのは、やはり店主の妙だなと感じる。真実一路に定食とはどうあるべきか素材と向き合い、素材を活かすことでしかここまで愛されるシンプルな定食は作れない。これが食べられなくなるのは残念ではあるが、こちらがどうこう言ってどうにかなる話でもない。

食後。会計しようかという所に店主がテーブルに。伝票を握り潰して「就職祝いだから」と声を掛けられる。そんなはずではなかったが、折角の好意を無下には出来ないので有難くご馳走になる。

お天道様は見ているというのはよく言ったものだが、本当にお天道様はよく見ている。いつの事だったか忘れてしまったが店で働いている時、この店主から「手際が良い」と褒められたことがある。料理を業として営んでいる人間から(お世辞にでも)手際が良いと褒められるのは、やはり嬉しい。そういうことを言ってくれる人は本当にたまにしかいない。また別の話になってしまうが、普段来てくれるおばちゃんに「お兄さん仕事が早いね」と言われる時もあった。卒業に際して辞める話を常連に話した時、日々の接客の様子を見て「あなたなら就職してもきっと大丈夫だから」と言ってくれるお客さんもいた。本当は誰かに大丈夫と言って欲しかったのかもしれないなと思うこともある。『華麗なるギャツビー』で最後、主人公がギャツビーに対して "They are rotten crowd. You are worth the whole damn bunch put together." と語りかける場面がある。そういうことなんだと思う。

話が逸れたが、見ている人は見てくれている。それだけで嬉しかった。これらの言葉にどれだけこの1,2年支えられたか、恐らく本人たちには分からないだろう。本当にこれだけがカウンター越しの唯一の救いであり、祈りであった。今回の就職祝いの件も含め、店主には一生頭が上がらない。

 

2月下旬

名前は知ってるけど会ったことがなかった大学の人と、初めて会う。午前シフトが終わって夕方から飲み会を開くのは充実した1日というような実感がある。働いた後の酒は格別であり、全てを赦してくれるような気がするとかしないとか。待ち合わせまで時間があるので、不忍池のほとりで一番搾り500mlを片手にお先に失礼する。

 

夕方6時。相手と合流し、湯島にあるシンスケへ。

こういった、所謂大衆割烹めいた居酒屋に誘える人は限られてくる。ソフトドリンクも勿論置いてあるものの、メインは日本酒かビールであり、相応に酒が強く、更には伝統的な(伝統的な?)酒のつまみ然とした食事を好き嫌いなく食べられる人でないと共に敷居を跨ぐのは難しい気がする。そういった意味で、本当に得難い飲み友達を得られた会だった。

べったら漬けやアナゴの天ぷら、それから手羽の煮込み、安納芋で作った大学いもなどをつまんでは熱燗をちびちび飲む。最近行ったお互いの旅行の話になり、やはり旅行中は酒を飲むに限るなとの思いが強まるばかりであった。「旅行先で食べる王将のラーメンセットにビールは"正解"でしょ」と言われ、俺のやってきたことは間違ってなかったんや…と、大阪での旅行生活を振り返りつつ1次会が終了。

日本酒2合に大瓶半分ずつとそこまで飲んだ訳では無いが、お互い胃の軽さが半端ではない。「まだ8時」という甘美な響きとほろ酔いとでテンションが上がりながら2軒目の肉の大山へ。

上野のガード下でせんべろはしご酒をしたいと思って幾星霜。齢22にしてその夢がようやく叶った。肉の大山は、自社卸の肉を使った揚げ物などを格安で提供する、安く酔いたい人間にとってのメッカと言っても過言ではない店である。なんせハムカツが1コ80円。意味がわからない。本当にこの価格でいいのだろうか?

今回は中の座席で食事を摂ることにした。席についてびっくりする。対角線上に高校の先生がいたのである。話しかけこそしなかったものの、そこはかとなく気恥しい気持ちのままハイボールを口にする。本題であった話を交わし、相談事への回答を受け取るものの、今となってはなんて言われたかさっぱり記憶にない。本当に本当に申し訳が立たないが、単に話して記憶からすっ飛ばしたかっただけなような気もする。酒の席はその場の雰囲気だけが唯一持ち帰れるモノであり、話した言葉話された言葉はアルコールと共に肝臓で分解されて、体外へ排出されてしまう。

席も2時間経過し、会計を済ませ退店。「まだ10時半」を合言葉にコンビニで酒を買い、上野公園で3次花見会を決行。いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうではないが、トータルとしていつかこの夜を思い出してきっと泣いてしまうだろうと強く思う。話しててこれ程楽しいことがあるのだろうかとの思いは増すばかりである。この縁がどうか切れないように、大事に紡いでいかなければならない。

 

2月下旬 恵比寿で飲む。

中学からの付き合いのある友人は片手で数えるばかりであり、真に気の置けない人間は誰かと問われたら恐らく彼と答えるだろう。そんな友達を持てたことを心から嬉しく思う。

彼は以前、自分のことを「永遠の目標」と評したことがあった。買いかぶり過ぎではと思う反面、『愚者のエンドロール』での折木奉太郎福部里志の会話を思い出す。「俺はお前のことをもう少し高く買う、お前ならいつか日本でも指折りのシャーロキアンになれると思う。」と奉太郎が言う場面を。

自分は自分が思った以上に自分の価値を低く見積もりすぎなのかもしれない。言った本人は本当にそう思ってたのかもしれないが、もうその話もいつの頃の話だったか朧気で、今の状態を見ればやはりこんな人間が目標なんかであってたまるかという気持ちであり、早急に目標の変更を要請したい。夢はでっかく、エアコンは小さく、だ。

 

恵比寿は、高い。

1件目こそ内容的にも妥当な価格だとは思ったものの、2件目に訳わかんないバーに行ったら2人で1万取られた。バーの相場なんてそんなもんなんだろうとは思ったものの、まさか実際こんなにかかるとは思わなかった。マティーニを飲んでほろ酔い気分のまま会計をお願いして一気に酔いが覚める。命まで取られなくて良かったとほっとして帰宅。

今でさえ半年に1度くらいのペースでしか会わないが、これが今後1年に1回、3年に1回と延びていくのだろうか。どちらかが結婚なんてしたらもっとかもしれない。もう誰とも会えなくなるのだろうか。春は別れの季節、別れについて日々考えてしまう。

 

3月

友人の引越しを手伝う。

やる気を出して朝から友人宅へ行くと、家具家電の搬入は午後だという。やる気だけ先に搬入してしまい、妙に気の抜けた身体だけが残されてしまった。それでもフローリングマットを張ったり昼食と言っていいか不明の味噌汁を作ったりしながら友人宅を満喫する。

 

一人暮らしは自分の勝手があらゆる範囲で効くので大変羨ましいなと思う。これは常々言っていることでもあるが、食事の量がコントロール出来ないため無限に肥え太っていくばかりであり、大変困る。会社員になったら毎日の昼食は千切りキャベツと今から決めているが、果たして栄養状態がどうなのか気になるところではある。

家具が届く。酒を飲みながらあーだこーだ言いつつ組み立てるのは、さながらキャンプでテントを組み立てている時のようである。一人暮らしの家に行くことは秘密基地に行くようなものであり、『スタンド・バイ・ミー』を思い起こす。

いつかは積水ハウスのCMに出てくるような自分の城を築き上げたいという欲望はあるものの、果たしてそのライフステージまで自分が上昇できるか、先行きは不透明だ。先日先輩が結婚したとの話を聞き、とうとう来るところまで来てしまったなと感じた。「結婚しなくてもいい時代、それでもあなたと結婚したいのです」のコピーが巷を賑わせたのも数年前だが、ライフステージそこまで上げられんのか自分ッ…の気持ちに無駄に苛まれる3月この頃である。

 

3月  同僚の子と飲む。

彼氏との惚気話を聞かされ、日本酒6合を呷って死にかける。なんでこんなことになってしまったのだろうか。

話を聞き続けると、付き合ってない頃から通い妻をしていたらしい。妻。妻かい…。

結局通われる人を作った時点で人生ゲーム 恋愛部門においては上がりなのかもしれない。益々一人暮らしが恋しくなってくる。

 

 

別れの季節である。

新たなる出会いの萌芽でもあるのかもしれないが、そんな出会いなどあまりあるものではない。今までの何となくの関係性が途切れてしまうのはうら寂しくもあるが、その分残された手元の関係は襷のごとく肩に引っ掛けて大事に将来まで運びたい。

先日、新文芸坐のオールナイト上映でティモシーシャラメ出演作3本を観た。この感想はこれでまた改めて認めたいが、前説で「29歳問題」という話が出た。自分も初めて聞いた問題だが、どうやら30代を迎えるにあたって増大する社会的な責任感や結婚といったライフステージの上昇に対する焦燥感など、いわゆるワークライフバランスに関する問題、如何に生くべきかといった問いがこの「29歳問題」というらしい。22の現在、社会的な地位がある訳では無いため社会的責任は重くのしかかっていないが、ライフステージの上昇については常に頭の片隅で悩みの種となり、最近では発芽し花まで開いてしまった。「あなたはきっと大器晩成型ね」と言われたこともあったが、本当にそう思っているか婉曲的な何かの表現なのかは不明であり、唯ぼんやりした不安だけが投げつけられてしまい苦悩に苛まれている。芥川もかくやではあるが、一体この僕の将来に対する唯ぼんやりした不安はいつ拭えるのだろうか。

 

 

無題

最近は、いい生活をやっている。

 

例えばコップにウォッカ注いで飲みながら勉強したり、映画観たり。

街の中華屋で美味しい中華料理食べながら、流れるNHKをボケっと観たり。

夕暮れ時に駅のホームでハイボールの濃いめ飲んで、ほろ酔いのまま家路に着いてみたり。

ちょっと疲れたなって思ったら銭湯寄ってデカい湯船にザブンと浸かるとか。

 

学生生活も残りわずかで、皆狂ったように海外旅行に行く。それはそれで楽しい、良い生活だと思う。ここまでデカくまとまった休みなんて会社辞めた時くらいしか取れないだろうし。

 

でもこう、なんだろう。日常生活の延長みたいな所で自分の御機嫌を取っていく術をひたすら探していくのも、それはそれとしてまた違った楽しさがある。

ある意味目の前のタスクに対して思考停止で先延ばししてるんだけど、時々止まらないとやっていられないというか。もう素面じゃ何にもできないんじゃないかというか。

 

まぁなんですか。みんなも各自でいい生活、やっちゃってください。

 

 

1月

笑っちゃうくらい予定がほとんど入ってなかった。

元日から洋服のセールの販売補助のアルバイトを突っ込み、虚無になりながらひたすら洋服を畳む。子供服売り場の店舗であった。サイズ展開が幅広ければ、ボーイズもガールズもある。累計1万枚は畳んだじゃなかろうかというくらい、客がひっちゃかめっちゃかにしていく売り場を歩き回り見た目を整えた。

 

アパレルの販売員は、僕には合わなかった。得られた知識は百貨店のバックヤードの仕組みと、在庫の保管場所のみ。

心を虚無にしてただひたすら雇用主から賃金を掠め取ることを考えるならばこれほど(退屈だが)楽な仕事かつ体面のいい仕事はないだろうなと思う。

今の職場は常にやることがあるのでそれとの落差が凄い。カウンター接客も何か知識が得られるのかどうかは甚だ疑問であるが、洗い物は日常生活でも使うスキル(スキルか?)だからまだいいんじゃないかの気持ちがある。

給与は2万ちょっとだった。

 

上旬。高円寺のたちばなへ行った。

無限餃子がウリだが、結局3枚食べれば満足しがちである。いつも2ダース分くらい食べるぞって意気込むものの結局話したり飲んだりしてる間に「いや別にこれ以上食えなくないか……」みたいな気持ちが沸き起こってしまい、諦める。

昨年末に好きだった人に振られた話をメインに、愛されたいとかどうやったら愛されるのとか、女子会の終盤みたいな話を終始やり、1人終電を逃して解散。

池袋から春日通りを通ってしばらく歩いて、茗荷谷辺りでギブアップして魔法のカードで帰宅。自宅に帰ったら革靴の踵がめちゃくちゃすり減ってて萎えながら就寝。

酒を飲んだあと終電逃して夜歩くのは本当に気持ちがいいけれど、毎回やらなきゃ良かったの連続であり、酔いが覚めてから後悔に苛まれる。ただそれを含めたワンセットをやれるのも今のうちだけであり、あともう1回くらいやりたい気持ちがあったりなかったり。

 

下旬。サークルの同期と飲む。

ここもまた1次会は餃子だった。しかし別にそこまでたくさんの餃子は出てこなかった。3,500円という値段の割に料理がそこまでだなという気持ちのまま2次会に行く。

2次会にはサイゼリヤを選択。本当に最高の選択だったと思う。俺は1回くらいはファミレスを2次会の場所に選定しよう選定しようと思いながら生きてきたが結局鳥貴族やら大都会やらに落ち着いてしまうきらいがあった。

サイゼリヤのマグナムの白ワインを1本頼んで各々注ぎながらミラノ風ドリアとかエスカルゴとかグリーンピースと温玉のやつとか適当につまむ。ここでもまた失恋話とか挟みつつ、あーだこーだ話をして解散。

誘ってもすぐ予定が決まりやすい人間たちは本当に誘いやすい。

卒業までにまた飲もうと誓いつつ夢の中へ……

 

2月

予備校のテストが3週にいっぺんだったのがほぼ毎週になり、予備校サイドから"いよいよ本格的にやっていくぞ"のハッパがかかる。今のところの成績は全受講生の10%~15%以内をウロウロしながら微妙な点数を取り続けている。

このままの成績を維持出来れば安泰なような気もするが、しかしながらこのままではダメなような気もする。それは昨夏の試験に落ちているが故に妙に神経質になっているだけであるのかどうか……。

今年こそは…今年こそは……と思いながら毎年やっているが、結局本腰入れてやったろうみたいな気持ちになったのはやはり就職して諸々必要になった瞬間からである。人の目が無いと諸々出来ない性分は昔から変わることもなければこの先も恐らく変わらないんだろうなと暗澹たる気持ちになりながら、それでもやっていくしかないんやという気合いで今日も机に向かう。

 

2月上旬。

同期と、歌舞伎座裏手の銀之塔ビーフシチューを食べに行く。

僕が料理屋の情報を仕入れる時はPOPEYEを読むか平松洋子さんのエッセイを読むかのいずれかである。この店は平松さんのエッセイに掲載されていた。

冬はやはり鍋モノに限る。土鍋になみなみと入ったビーフシチューはそれほど味も濃くなく、サラリとした口当たりで大変美味しい。ホロホロになるまで煮込まれた牛肉をレンゲで崩しながら1口。そのまま茶碗のご飯を1口。美味い。行儀が悪いが、シチューを茶碗のご飯に少しかけて1口。美味い。ビールを1口。最高。

少し値は張ったが、寒い中食べに来てよかったと思う。普通の飲み会が嫌いなわけではない。飲み会に出てくる食事といえば王道の揚げ物/焼き鳥であり、変わらぬお前たちで嬉しいという気持ちはありながらも、どちらかと言えばホッとするような食事ではない。たまにはこういった変化をつけてお酒を飲むのも悪くないなと思ったりする。熱燗があれば尚更である。

寒い時期に暖かいもの食べて英気を養って2月乗り切るぞみたいな話をしたりして、解散。

 

2月週末。

サークルの男子会が開催。諸先輩方が卒業してもこうやって集まって飲める関係性であって良かったとしみじみ思う。

こうして集まる度に、先輩方は先輩であるが故に自分よりも先に社会の酸いも甘いも経験して我々後輩一同にありのままの所感を伝えてくれるが、中間にいる自分は何かしらを後輩に残してきただろうか/残せただろうかを考えてしまう。結局残せたものは、今こうして毎日のようにお酒を飲んでいるものの何とかやっている姿勢だけであり、いいんだか悪いんだか、頼もしいんだか情けないんだかという気持ちに……。

こういった大人数のホモソーシャルな結びつきは後にも先にも今のこの男子会のみであろうし、そうあって欲しいと願う。肩肘張らない同性間の結び付きは、あればあるだけ帰るべきホームの場所が増えるという意味で良かったりする。だが、もうこれ以上増えても大事にしきれず蔑ろにして結果焼け野原になってしまうのではないか、あるいは自分が抱えていられる容量を大きく超えてしまうのではないかといった恐れや不安がある。

今この関係性ばかりを固執しすぎ無い程度にしたいと思うが、それと同時に抱えていられる今現在の関係性を大事にしないといけないなとの思い。そこのバランスは崩さずに上手く維持出来たらいい。

 

2月中旬

Men I Trustの来日公演を見るために大阪へ。

中国を中心に日本でも国内におけるCOVID-19の蔓延が気になる中、来日公演を実施してくれて本当に感謝しかない。

このバンドを知ったのは、同じカナダ出身のドリームポップバンドであるAlvvaysのMVをYouTubeで観ている時に関連として出てきたtailwhipのMVを観たことがきっかけである。

Voのエマの声と、キーボード、ギターが織りなすゆったりとした音色はイヤホンを通して聞くよりも実際にライブに行く方が何倍も気持ちよい。手に持ってたハイネケンを飲むのも忘れる程に流れる音楽に揺られ、喉を通る頃にはすっかり生ぬるくなっていた。

高倉健が銀幕の中でバッサバッサと人を斬り倒していく姿に自分を重ね、劇場を出る頃にはまるで自分が銀幕の中の高倉健になったかのように肩で風を切って街をそぞろに歩いていく、といった話が寺山修司の本の中にあったが、気分はまさにそれである。肩をそびやかしながら戎橋のほうなどをちょっと散策しつつ、餃子の王将でラーメンセットとビールを頼んでサクッと夕飯を済まし、宿近くのコンビニでスミノフを買って飲みながら就寝。

 

翌日、万博記念公園を経由して京都へ。

森見登美彦の『太陽の塔』を読んでから急に太陽の塔が見たくなってしまい、帰途のついでに寄る。やはりデカい建築物は良い。そして意味が分からなければ分からないほど良い。俺は早くPL教団のあのクソでかいタワーとかをみたい。万博記念公園にはヴィレヴァンの出張店舗があり、お土産にコップのふちに引っかかるタイプの太陽の塔のフィギュアを手にし、一路京都へ……。

 

京都で昼食を済ます。

前から気になっていた寺町通りを御池通から上った途中にあるトラモントへ。この時期限定の牡蠣のクリームパスタを注文する。普段通されることのなさそうなカウンターの席に訳アリで通され、ホールに立つ老齢のおばちゃんや洗い場のバイトさんたちと仲良くなる。同じ喫茶とはいえやっていることは全然違うため、一つ一つの動きを見てて感心する。

東京からわざわざ来はって、ありがとう、儲かってまっか? 東京ってどんな場所なん?みたいなことをぼちぼち話しつつ牡蠣のクリームパスタを頂く。

美味い。美味すぎて馬になるところだった。牡蠣のダシがクリームソースと絡み、1口ごとにまろやかな磯の風味が口いっぱいに広がる。小ぶりな牡蠣ではあるものの、プリっとした身は見ていて楽しくなる。濃厚な牡蠣の味はさすが海のミルクと言われるだけあると実感出来る程であった。残ったソースを、これまた美味しいで有名な進々堂のフランスパンのトーストにつけながら味わい、退店。

また来ると誓ったものの、このパスタが食べられるのもこれまた老齢の店主がカウンターに立っていられるときまでであり、これが最初で最後になるかもしれないと思いながらしみじみと雰囲気と味を反芻する。

 

おやつに六曜社地下店のミルクコーヒーとドーナツを頂く。本日のベストアンサーである。京都に暮らすとこれが毎日食えると思うと悔しくて悔しくてたまらない。六曜社は地下に限るなと毎回思う。カウンターの目の前で淹れられるコーヒー、焼かれるドーナツ、棚に並ぶキープされたボトルたち。どれをとっても正解であり、手近な場所にもこんな店が出来たらいいなと思う。

新幹線の時間も近いのでまたドーナツ食べに来ようと誓って移動。さっきから誓ってばかりである。

 

新幹線に乗る前にお土産の蓬莱の豚まんを購入。もちろん自分で食べる分も購入。ホームでビールも購入。最高のセットができあがりである。蓬莱の豚まんはテロリズムであり、そろそろ法律で規制されてもおかしくないのではないかと思うものの(倫理的には規制すべき/すべきでないの議論が既にあるが)、関西から帰る時はやはりやりたくなる。関東から行く時にシウマイ弁当は食べないが……。

個人旅行の醍醐味ここに極まれりという感じで、終始食べたいものを食べ、酒を飲み、よろしくやっていた。みんなも最高の旅行をやって欲しいなど思いつつ帰宅。

 

 

年明けた頃から後もう3ヶ月で卒業かなんてことを考えていたが、気づけばもう1ヶ月も切りそうな勢いである。

4年間はあっという間だったが、前半2年間の事はサークルの事以外まるっきり覚えていない。何をやっていたんだという気持ちに苛まれてしまうが、忘れてしまうほどのことしかしていないなら別にわざわざ思い出すほどのことでもないのかもしれない。

いわゆる「濃い」メンツだったみたいな話は、言い方としては色々バカにされがちである。しかし果たして自分はそのような「濃さ」のあることをやっていたのか振り返ると、結論ないものねだり故の僻みでしかないことに気づいてしまう。

ねだってもしょうがないので、自分で濃さを作っていくしか自分のことは救えないんだとの気持ちで、今日も魂のサルベージをする。

 

去る2019年への雑感とか。

ことし1年振り返ってみれば、どうしてこんなになってしまったんだ、みたいな感情が心にデカデカとのしかかっている。そんな1年だった。と思う。

 

とうとう大学も4年目に突入。3年間で取りきれなかった2単位のためだけに春学期は大学へ通い、秋学期以降はほとんどやることもなく、サークルの写真撮影と友達の待ち合わせ2回、そしてタバコを吸うための4度しか足を踏み入れなかった。1番大学生ぽい1年だったな。

 

思えば遠くまで来てしまい、引き返すに引き返せない次元に突入し、人生の取り返しがつかないなと日々考える。皆がプライベートにおける適切なライフステージを上がっていくのを横目で見ながら何とか社会のレールから落っこちないように恐々と過ごす日々。そして来年から社会に出るのが非常に億劫。本当はもっとやりたいことがあったんじゃないかと思うが、とはいえこれと言って取り立ててやりたいこともあるわけではなく、手持ちのカードで目の前のイベントを切り抜けるこの今の現状にどの道落ち着いてたんじゃなかろうか。

 

  

今年はなんと言っても就職活動が大きなイベントとして屹立していた。

 このイベントのため、朝井リョウの『何者』をしっかりと読み込み、就活の恐ろしさみたいなのを身体に染み込ませておいた。しかし『何者』のように就職活動を友人同士で乗り切るといった環境にそもそもいなかったため、完全に無意味。SPIは手伝ってもらうより自分でやった方が早かったし、友人を相手にした面接の練習は別にしなかった。しなくてもどうにか乗りきれてしまった。

 

就活RTAがあるとするのならばかなり上位に食い込めるんじゃないかというスピードで内定が決まった。これから士業の世界でやっていくことになる。

 

元々これがやりたかったというわけでは無い。今現在できることがこれしかなかったという感じで半ば強制的にこの道へという感じの方が近い。

PEANUTSかなにかでスヌーピーが「配られたカードで勝負するしかない」みたいな話をしていた記憶があるが、学生時代の後悔があるとすればこのカードの種類を増やす努力をするべきだったなと思う。就活コンサルみたいな手合いがこの手の話を大学1年2年のキッズにするのが分かる気がする。

もうこれ以上就活の話に広がりはないので、ここでおしまい。

 

あとは色んなアーティストのライブに行った。

4月に行った『柴田聡子の神保町ひとりぼっち』では、終演後に柴田さんにサインとツーショを貰ってオタクスマイル全開だった。生のカープファンの子が聴けて「やっぱこれよな」みたいな感覚を得たのを覚えている。

5月に行ったnever young beachNHKホールも楽しかった。ネバヤンのライブはMCも面白いし曲も盛り上がるしで、前回に引き続きいいライブだなという気持ちでいっぱいになる。ただ今回はアルバムの特質上しっとり系が多くて、こどもの音楽発表会に来ているような感覚が度々押し寄せていた。これどうしたらいいんだろうな。

9月のSuchmosハマスタ公演も最高だった。台風が来てたために途中で帰宅したことを除けば、雨の中のライブがこんなにも気持ちのいいものなのかと感動するようなライブだった。MINTで周波数合わせたの、すごい良かったな。また行きたい。

同じく9月にはchelmicoのライブにも初めて行った。2階席を取ったことをこの上なく後悔するくらい1階が盛り上がっていた記憶がある。ラビリンス’97→highlight→Playerの3連盛り上がる曲が順にかかってバカぶちあがって爽快感が半端ではなかった。ヒップホップとかのライブに行くことがほとんどなかったので、とても新鮮な感覚を覚えた。

12月にNulbarichのSSA公演に行った。VIP指定席とかいうお土産つき席で観たが、最初の頃の曲しか好きではないので正味微妙な盛り上がりではあった。VOICEのイントロ来て「!!!!!!!!」ってなったが、アレンジ微妙で来た意味を見失いかけてしまった。フロントマンのJQは、公演の衣装を全身GUCCIで揃えてきた。かけている色付きのサングラスと相まってただの成金チンピラみたいにしか見えず、ひたすらに怖かった記憶がある。たぶんもう2度と見に行かないだろう。

 

色んなとか書いたけど5回しか行ってないな。来年2月に(多分)Men I Trustの大阪公演とChoice31でtofubeats, iri, KID FRESINO出演のクラブイベに行くので、来年も程々に楽しいライブ回りをしたい。

 

 

最後に振り返ることとしては、これ以上広がることないだろうなと思ってた交友関係が若干広がったりしたことだろう。初めて飲みに行くような人が増え、それきりになった人もいれば何となくインターネットで繋がっていたり、少し親密になった人もいたり。来年以降もこの関係が続けばいいなという感じがある。まだ会えてない人にも会ってみたい。

 

本年も大変お世話になりました。来年も相変わらずよろしくお願いします。

それでは。

 

 

思えばどだい無理な話だったんだよな。

一昨日、好きだった人に振られた。

 

恋愛は好きになった方が負けという話はあるが、敗北も敗北。自分の存在価値を疑ってかかっちゃうくらいには心をボキボキに折られもう何もわかんなくなってしまった。

好きだった人は同じバイト先の同僚で、相手の方が年齢は一個上。同じ大学に通い、相手は浪人していたため学年自体は一緒である。

 

かれこれ2年弱同じバイト先で一緒に働いていたが、今年の8月にようやく連絡先を交換しご飯を食べに行くことに。

向こうの出身が日本海沿岸の県ということもあり、魚料理が美味しく日本酒も豊富な種類揃えられている店を選んだ。

普段バイトをしていても時たま最近のことを話す程度だったので、相手の生活のことや過去のこと、お互いの家庭のことなどを打ち明けながら楽しい時間が過ぎてった。
24時間やってる喫茶店に移動して、相手が追っかけの女性アイドルの話などを話しているうちに終電を逃した。
結局2時近くまで話していたが、さすがに話すことも無くなり始め、店を出てコンビニで缶チューハイを買って深夜徘徊に。周辺をウロウロしたり公園でブランコに乗ったりしながら始発を待って、解散。

自宅に帰りながら、酔いも相まって白昼夢なんじゃないかと思えるくらいの濃密な時間を過ごしていた。この時点でもう完全に相手に惚れていて、ダメだなとか思った記憶がある。

 

月が経ち、10月になった。
1月ぶりにシフトが被り、働きつつお互いの近況を話していた。

 

最近、JOKERを観たという。1人で。
「面白かったです。ただ1人で観ると感想話す相手がすぐ近くにいなくてちょっと寂しいですね。周りも2人とかで来てる人多かったし。」なんて感想が返ってきた。
そうだったんですね。でも僕も1人で観ること多いですよ、なんて話してその場は終わった。
終わったが、恋愛に毒された脳は(なんでそんなこと言うんだ…?)とか考え始め、暗に映画誘ってんじゃないかという結論に至った。そんな訳ないのは分かっているのに。
後日、勇気を振り絞って映画を見に行きませんかと誘い、OKを貰った。大学生くらいなら別に見知った男女で映画観に行くくらい訳ない話ではあるが、恋愛観が終わっているのでこれくらいのことで心臓がはち切れんばかりにバクバクと音を立て、滞ってた全身の血流が良くなるのを感じられるくらいには嬉しかった。

 

映画の話は割愛する。この日に12月のご飯の約束を取り付けた。

 

そして一昨日、ご飯に行った。店は前と同じでいいという話になったので前のお店に。
緊張しすぎて思うように会話が弾まない。弾むのは僕の酒のペースだけであり、飲み始めて1時間で日本酒の量は4合を超えた。
とりあえず消化しておきたかった最近の話とか、相手の追ってるアイドルの話とかを肴に食事を楽しみまたあの喫茶店に。

告白の言葉を言い出すにも上手いタイミングや雰囲気を作り出すにはあまりにも話術に乏しく、ただ無為に時間を空費していくばかりであった。「さっきから様子おかしいですけど飲みすぎましたか?」なんて聞かれてしまう始末である。

別にヤケおこした訳ではないが、何かもう今言わなかったらダメなような気がして、伝える。もう何話したのかも覚えてない。まぁ、当然振られる。

思えばずっとこんな人生だった。相手の子は隣で並んでて釣り合わないくらい可愛い。ヒエラルキーの底辺にいるような人間が、下剋上かの如く突撃して行って返り討ちにされるなんてのは至極真っ当な話だ。ヒエラルキーなんて、そんなもの無いと相手は言うが、僕にはあるようにみえる。そんなものに諦めの理由を押しつけても仕方がないが。それでも何とか釣り合うように似合う服買ったり色んなものに興味もって顔出してみたり観てみたり聴いてみたり、会話のレパートリー増やそうと思ってやってきた。でも、そこまでだ。圧倒的に話術に乏しい。面白い話ができない。この文章だって冗長でありふれていて、すぐ読み飽きるだろう。

相手が前に付き合っていた人とは何で付き合い始めたのか聞かせてもらった。面白かったかららしい。もう殺してくれとしか思えなかった。

きっと、こうやって変に肩肘張らなくても話せるような人と付き合うべきなんだろうと思っている。自然と、相手にとっても自分にとっても面白かったと思えるような。

この焼畑農業的人間関係の中で、そんな人を探すのももう無理なような気がしてきた。

キリスト教信者が、いつか来る審判の日に向け日々祈りを捧げる行為の意味が分かってきたかもしれない。

京都アニメーション放火事件への極私的な想い

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京都・出町柳商店街にて



www3.nhk.or.jp

 

 京都アニメーションが放火に遭い、多くの死傷者が出た。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方の快復を心よりお祈り申し上げます。

 

ただ、ただひたすらに悲しい出来事である。
”落雷に当たったとでも思うしかない”という呟きがあったが、まさにそんな感じだ。

 

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京アニと言えば美麗な作画や秀逸な演出などで名を馳せるアニメーション制作会社であり、様々なヒット作品を手掛ける。そこで働くアニメーターたちの貴重な命が…という”いのちの重さ/価値”的な話で相模原市の障害者施設殺傷事件と比較するような話もある。 

もちろんすべて国民は法の下で平等であり、誰であろうと生きる価値はあり、失われていい命があるわけではない。

ネット上でそのような話が散見されるのは、ネット文化とアニメ文化が親和性のある文化だからだと思うし、自分との”距離”の問題だと感じる。仲良かったクラスの友達が夭折するのと、父方の大叔父が亡くなったのと、どっちがより自分にとって悲しいのかと似たような話な気がする。同じ命だが、より悲痛な思いが募るのは関わりのあった人間のほうだろう。

声をデカく出した方が勝ちみたいな態度がある中で、よりシンパシーを感じる方に対してデカい声を出すがためにこの件への反応がより可視化されてしまい、距離の問題と絡んで相模原との比較の話や反応の違いが出たのではなかろうか。わからない、インターネット評論家ではないので。

(7/21追記)
「価値のあるなし」について、正しい例かどうか分からんけど馬を例にしたい。
 
東京優駿に出走できる馬は、同年産まれ約7000頭弱から18頭のみだ。白地に黒文字のゼッケンを纏うことを許された、誉れの18頭である。東京競馬場第11競走芝コース2400mを走ることができるこれら18頭が馬界のヒエラルキーにおいては、同世代トップの位置にいると一応なされている。ではそれ以外の馬はすごくないのか、価値がないのか生産性がないのかと言われたら、そういう訳では無い。競走馬にも適正はあり、短距離戦が得意な馬、マイル戦あたりが得意な馬、あるいは芝コースよりダートコースが向いてる馬など、様々なタイプの競走馬がいる。
 
競走馬としては思うような成果を出せずに競走生活を引退したが、アニマルセラピーの世界や乗馬の世界で活路を見いだせた馬もいることだろう。
 
どの馬にも価値はあり、その価値が上手く発揮出来たのが競走であったり、乗馬だったり、セラピーだったりする。
 
今回の"貴重な人を…"というのは、今回亡くなられた方の価値がアニメーションの作画というある種分かりやすい形で消費者に提示されていただけに、これだけの共感と悲嘆を呼び起こしたと思われる。
障害のあるなしにかかわらず、生産性という言葉で区切ってしまうのは非常に危険な考え方だ。これを書いている僕自身もいつ社会的な生産能力を失い、この生産性のラインから零れ落ちて「価値なし」の烙印を押されるかわからない。僕らはみな同じ地平にいて、その地平からみな転げ落ちる可能性を孕んでいる。そのようなことをできるだけ防ぐ、あるいは転げ落ちても大丈夫/再度戻ってその人の価値を発揮できる社会を目指していくことは、ひいては自分の身を助けることにも繋がってくる。1億総活躍社会とは、そういうことではなかったのか。

 

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京アニ作品に触れたのは『氷菓』からか『けいおん!!』からか、どちらかだったと思う。それから『涼宮ハルヒの憂鬱』を観て、『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』『境界の彼方』『響け!ユーフォニアム』『聲の形』…と。中高生時代観ていたアニメ作品のほとんどは京都アニメーションが製作を手掛けている。僕の薄っぺらい青春は京アニに形作られたといっても過言ではない。

これらのアニメ作品を通じて他にも様々な素晴らしい作品に出合わせてくれた。作品のバックボーンなどをもっと知りたいと思わせるような脚本・演出があったことでそのような探求心も生まれた。特に『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』で描かれた京都の街並みに心惹かれ、何度も京都へ足を運ぶようにもなった。『響け!ユーフォニアム』を通じて様々な吹奏楽の楽曲やクラシックの楽曲を知り、演奏会へもお邪魔したり大学の交響楽団のコンサートにも参加したりで、自身の音楽的教養みたいなものが深まった気がする。

 

改めて、部屋にしまってあった劇場版『響け!ユーフォニアム』のパンフレットのスタッフクレジット欄を見た。監督の石原立也さんを始め、演出の山田尚子氏、『氷菓』の監督も務めた武本康弘氏、作画監督池田晶子氏など著名な方もおられる中、これから名を上げていくであろうたくさんの(若手)スタッフも製作に参加している。これだけ熱量のある作品を生み出すのだから、多くの社員がコミットしているのは当たり前なんだけれども、フロントに出てくる著名な方々の名前の前に、彼らのことを見逃しそうになる。このスタッフクレジットの中のどれだけの人が今回の火災で死傷してしまったのかは分からないが、とにかく多くの人が夭折された。できればこれら一連の出来事が夢の中の話で済んでほしかった。

 

ただひたすらに悲しい。