名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

無題


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「少年老い易く、学成り難し」

これに尽きる。

 今年後半、特に10月以降の記憶がほとんどと言っていいほどない。
日々何を考え、どのように生活を送っていたのか分からない。
あんなに頑張っていた勉強も手がつかなくなってしまい、”予備校寄ってから帰る”といっては授業も受けず喫茶店で自習し、映画の上映時刻近くになったら1本映画見て帰るといったことを繰り返した。

 仕事を中心に時間が回り、心と体が乖離することが増えてきた。
「肉体だけが先に移動してしまい、心がまだ追いついていないんだ」といった話が星野道夫の『旅をする木』や開高健のエッセイやらであったが、まさにそういう感じ。

 あまりにも人生の加速度合いが大きく、動く歩道に乗りながら歩いている感覚とでもいった方がいいのだろうか、生のペースと時間の進みがちぐはぐで、ボタンの掛け違いが連発してぼーっとしてしまう。何をしたわけでもないのに日々疲れてしまい、帰宅して飯も食べずに寝て翌朝シャワーを浴びてそのまま会社に行くことが増えた。

 

 唯一、おいしいご飯を食べる事だけが救いであり、祈りであった。
 幸い社会人になったことで金銭面に余裕ができ、何を食べてもお財布にダメージを食らうことも少なくなった。大学生だったころに比べれば、一回の外食に対する感動の閾値が狭まったと言えばまま当たる側面もあるものの、それよりも食べられる料理がふえたこと、お店を容易に開拓できるようになったことで、感動の幅員とでもいったらいいのだろうか、レパートリーが増えたなとは思う。
 たまに会う人に「毎週満点青空レストランみて号泣している」話をすると意味わからんみたいな顔をされてしまうが、あれはただ宮川大輔が「うまーーーい!!」て言って、続けて水樹奈々のナレーションで「うまい!」ってスタンプがポンと押される様を観るだけの番組ではない。あれは、生産者が自分の作った食材をおいしく調理してもらって食べてもらって心から感動しているのを見て、一緒になって我々もカタルシスを得ることを目的としている。あれは宗教なのだ。番組は一種のミサであり、宮川大輔はさながら宣教師である。宣教師たる宮川大輔食レポを通じて人々に主の教えを説き、我々も自然が育んだ作物をおいしく頂くことで感謝の祈りを捧げる。

 ……とかこんな意味不明な供述をしているが、泣いてしまうのは事実だ。その涙の源泉はどこにあるかというと、一つは単純に、心のダムの高さが以前よりも低く削れてしまったことでちょっとしたことで涙腺が決壊してしまうことにある。どうしてかよくわからないタイミングでブワっときてしまう。

 最近、リバイバル上映かなにかで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観た。序というのは、主人公のシンジ君が父である碇ゲンドウに呼び出されネルフ本部で押し問答の末エヴァに搭乗するところから、ヤシマ作戦陽電子砲を使徒にブッ放すところまでである。特に有名なヤシマ作戦前後のシーン。綾波レイが作戦前に「私が死んでも、代わりはいるもの」「さよなら」といって作戦に突入し、何とか使徒を殲滅するものの、大ダメージを負った綾波レイを救出する際にシンジ君が言う「自分には他に何もないなんて、そんなこと言うなよ。別れ際にさよならなんて、悲しいこと言うなよ」と声をかける場面。不意に泣いた。他に2人くらいしか客もいなかったので、わりと大きめのすすり泣きをしてしまった。たぶん何かがすごい引っかかったのだろう。セーターをどっかに引っ掛けちゃって糸が解れてしまうように、心のささくれに引っかかって堰を切ったように感情が溢れてしまった。

 あとは(恐らく)自分に対する不甲斐なさみたいなところも理由にある。日々の生活それ自体に疲れてしまい、コンテンツを受容するばかりになって、生み出すこともできない自分の不甲斐なさみたいなものがベースとしてあり、「私が死んでも代わりはいるもの」「自分には他に何もないなんて、悲しいこと言うなよ」の応答がトリガーになっているんじゃないかと。こう勝手に分析しているわけなんですね。めんどくせー。

 自分の畑を持って、せっせか育てては出荷してまた種まきして、苗を植えては水をやって育てて……みたいな生産サイクルを持ってみたいとは思う。これは農業だけの話じゃなく、創作全般の話ではあるが、何かを生み出して成果物を自家消費するであったり社会に流通させるであったり、そういうことは自分のやってることに対して進捗が目に見えやすい点において精神的な安定をもたらす。
 それこそ同人活動なんかやってみようかなんて思った時期もある。けれどももう新しいものへの食指が伸びない。話題沸騰のカマド・タンジェロの奇妙な冒険こと鬼滅の刃を1からアニメ見ようとかマンガ読もうとか、あまりに置いてけぼりになりすぎてもうコンテンツに触れようとさえも思えなくなった。ヲタク趣味はもうどれもこれも疲れてしまった。もう趣味欄に書けるようなのは競馬と、アメフト観戦、読書くらいだ。
 Twitterもかれこれずっとやっているが、みんな「筋トレ!!!」「ジム!!!」みたいなマッチョな世界になってしまい、なんだか電車の中吊り広告みたいになってきた。

 もうどういう話をしたいかもわからない。すべてが不明になっている。人間と会っても仕事の話ばかりで、生活の話や読んだ本の話、観た映画の話など、そういう話をしたいんだが話が噛み合わなくて(うまく引き出せなくて、というか聞いても「あんまり見てない」って言われて話が止まる)蟠りが残ったまま終えることの方が多い。


 もういいか。もういいな。書いてきた話全部どうでも良いな。今年下半期の雑感です。精神と時の部屋に行きたい。若者はみな悲しい。来年も頑張りましょう。今年一年お疲れさまでした。