名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

「もはや『戦後』ではない」

どうもどうも

 

ご無沙汰しております。

 

ようやく忙しい時期が終わって、このようにブログを書く時間が取れました。

 

まぁ忙しい原因は自分にあるんですけど。

 

ブログがぽんぽこ書ける人って、あんまりSNStwitterとか)で発言しない傾向が強いなって最近思って。

 

twitterで呟くことで、僕なんかは8割くらいネタを消化してしまうんですけど、彼らは発言しない分ネタに余裕が生まれてる。

 

そこの違いが継続性に繋がってるくるのではないでしょうか。

 

まぁ当ブログの方針は以下を読んで頂いてご理解ください。更新頻度については触れ無い方向性で。

 

lifemaker.hatenablog.com

 

さぁ、というわけで今回のお話はこちら。

 

「もはや『戦後』ではない」

 

聞いた事あるでしょ。これ。

 

1956年に内閣府から出された「経済白書」の中に書かれた一文です。本当の初出はあの文芸春秋らしいですけど。詳しくはこちら( https://ja.wikipedia.org/wiki/経済白書 )を。

 

で、なんでこれなのか。

 

 

この2つのツイートがきっかけになってます。

 

ちょうどトランプが大統領選で勝った日のツイートです。

 

トランプの発言はニュースでもよく取り上げられてて、日本についても物議を醸しそうな(既に醸してるのか)発言をしてますね。

 

その中でも、基地の金払わなかったら撤退するとか。それに付随するかのように噴出した国防軍の創設とか。再軍備化とか。

 

そういうのを踏まえたうえで、もう一回『永続敗戦論』を読むべきなのでは、と思い、この間読み返しました。(こちら↓)

 

簡単な内容を紹介すると、「対米従属」の構造を「敗戦の否認」という立場から読み解いたもの。

 

トランプが大統領になるという歴史的なパラダイムの変遷の時だからこそ

この対米従属構造からの、戦後レジームからの、そして「戦後」というある意味一つの時代区分からの脱却の時期なのではないかと思って今に至っております。

 

僕の中では2016年11月9日を以て「平成元年」といいたい。

 

それは未だ「戦後〇〇年」という言葉が蔓延っているこのご時世において、「もはや戦後ではない」という言葉は欺瞞でしかなく、むしろ「戦後」が1つの元号として機能しつつあることからこのような考えが生まれた。

 

この言葉が使われる限り、日本は敗戦を乗り越えることは出来ない。

 

独立国なんだけど、いまいち独立しきれてないこの国がきちんと立つには、今回の選挙結果は良い方に転んだのかもしれないと感じるようになった。まだ微妙だけど。

 

だからこそ、「もはや『戦後』ではない」のだ。

 

これからようやく平成の世が始まるのか、それとも「平」和が「成」りたつ時代の終わりが始まるのか。

 

政府の行動に注目したい。

 

 

 

 では、失敬。