名前は、まだない。

you can ( not ) redo.

25→26


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(パレスホテルのマロンシャンティイ)

 

26歳になるみたいです。お誕生日めでたいね。

申込書とかの年齢の欄まちがえてもう1枚書いたり二重線引いたりする日々が始まるね。

 

とにかく25→26の1年はあっという間(というか今年入ってからがあっという間。人生の最大瞬間風速。)で、誕生日が来たということは、7月はすでに終わりを迎えるらしい。まだ心は6月くらいに取り残されている。何かがおかしい。

 

25から26への変遷の中で、大きなことは2つ。

前にも書いたけど、愛犬が23年の1月に天寿を全うしたこと、それから3月より一人暮らしが始まったこと。この2つ。

 

愛犬がこの世からいなくなることは、すでに2022年の10月くらいから雲行きが怪しい感じがあったこともあり、家族のだれもが今年の夏を乗り切ることは難しいだろうという所感を抱いていることは、口には出さないにせよ、同時期ごろからの暗黙の了解のような形で認識されていた。それが年明け1月のある雨の日に起こった。偶然だと思う。オカルティックなことはよくわからないが、神もさぞ悲しくて泣いているから雨なんだみたいな、見事なまでの泪雨。カンカン照りの日でなくてよかったと今でも思う。気分が滅入る日にちゃんと気分が滅入る天気でよかった、晴れだったらきっと狂っていた。

火葬を行い、遺骨は今も実家にある。知り合いの愛犬家によると、愛犬の遺骨は意外と墓に納骨しない人のほうが多いらしい。その話を聞いたからというわけではないが、墓に入れてしまっては何だかさみしい気もして、元から家にしばらく置いておこう見たいな話をしていたので、まぁちょうどいいなという感じで今に至る。

実家にいた頃は、いなくなった犬が家を歩き回る幻覚を何度も見た。廊下を走っている。2階の僕の部屋にいるような気がする。抜けた心の穴が埋まることはなく、その感覚を覚えるたびに胸が痛んだ。今はもう引っ越してしまったから見えることはなくなったが、時間が経った今でも心の喪失感は埋めることができずにいる。15年も暮らしたんだ。簡単に埋められるほうのがどうかしてる。

 

一人暮らしは自ら言い出したとはいえ唐突に始まった。「君たちはどう生きるか」ではないが、この先どうしましょうかねといった話になり、もう25だし独り立ちしたい旨を伝えたら了承されたので家を探し、引っ越しをし、墨田区民となった。

幸いこれまでお金に困ったことも、食に困ったこともなく安寧に暮らしているが、5月末の仕事の忙しい時期に、計ったように体調が悪化。ほぼ丸一日、ひとり自室で死にかけていた時は何となく助けを求めづらい気がして、一瞬よくなった隙を見計らってドラッグストアに駆け込み、薬とinゼリーやカロリーメイトのゼリーなどをドカ買いして何とか事なきを得た。この時ほど勘弁してほしいと神に祈ったこともない。

「一人暮らしは気楽でよいが、時々フッとこのまま消えてしまうのではないかという不安と孤独に襲われる。」と書かれたツイートをみた。これは本当にそう。謂れのない不安感が付きまとう。床やベッドのシミとなって発見される日もそう遠くはないだろうという気さえ起ってくる。短絡的な思考に陥り、結婚をしたほうが良いような気もしてくる。友達はなんか結婚した。3組くらい。早すぎるような気もするが、自分が遅いだけのような気もしてくる。そういえばいとこも結婚していた。結婚式に呼ばれ、A4ランクの肉を食べ、思い出のムービーをみて、引き出物を手に大宮からグリーン車で帰った。こう書くとすごい一般的な結婚式の風景をやっていて、なんかこう、すごいな。トロフィー解除したような実感が湧いてくる。

 

3月から始まった生活は今月で4か月を越し、1年の三分の一が過ぎ去った。

3月から本格的に残業シーズンがスタートし、これまでの平均残業時間は60時間になる。最高が4月の93時間で、おかげさまでCartierの時計を買うことができた。その他、家に帰らな過ぎて電気代がめちゃくちゃに安くて助かっているが、生活が破綻していることは火を見るよりも明らか。顔が荒れまくって、洗顔やらにちゃんと力を入れるようになったことは瓢箪から駒ではあるが、この生活が改善されることが一番の特効薬だと思うので、早くこの生活から抜け出す術を考えなくてはならない。

 

以上がここ最近の所感やら振り返りやら。

26の抱負はあまり変わらず、「諦めるのは最後までいっぱい頑張ってからにしてください」かな。響け!ユーフォニアムの新作映画が8月4日から公開になるほか、Amazon Primeではアニメ第1期、第2期、映画版、リズと青い鳥が配信になっているので、ぜひチェックしたうえで劇場に足を運んでください。いきなり宣伝挟んでトゥルーマンショーみたいになっちゃったな。いやでもいい作品なんで見てください。

 

ここからは7月の休みの時の日のことを書いた下書きの消化タイムです。

皆様もよい1年をお過ごしくだされ。それでは。

 

 

7/11(火) 1日意味もなく有給を取得した日 

午前ゆっくり起床しダラダラ→シャワー浴びて家事をやり、お昼食べに上野へ。井泉の奥の端っこの席で壁に向かってヒレカツ定食とビール。近くの席に松坂屋の店員と思しき集団あり。店員のうちひとりが何か会社のために絵を描いたとかなんとか。あとはおばちゃんが、昔に何かを1億円分売り上げた話を回顧する話を聴きながら食べるのは良い。1人ご飯、他人の会話を聞くことに集中できるので好き。

食後はギャランで休みつつ読書。『午後の曳航』途中まで読んで諦めたのをもっかい挑戦。タバコ吸えるの忘れてて、買いに行こうか迷ったけど結局面倒でやめた。会計に行ったらレジでタバコ売ってて、そういえばこの店はそうだったと思ったが時すでに遅し。俺は今から店を出るのだ。本は2章くらい読んで、途中で眠くなって結局やめた。前に読んでたところくらいまでは進んだのであとは適当に読み進めるつもり。

外へ出る。日差しが殺人的であり、日傘なしでは生きていけない世界になった。7月からこれでは8月はどうなるのか不安で仕方がない。まるでインターステラーの地球みたく、滅亡が近いのだろうか。日を避けつつ、何となく国立西洋美術館へ。暑い日は公共施設、特に美術館に限る。特に時間が大量に余っている上に今日は平日。絶対に穏やかに絵と向き合うことが出来る日だ。出来る日だと思ったら意外に絵画教室へ熱心に通っているであろうジジババがわんさかいる他、小学生の校外学習とバッティングした関係でそれなりにザワザワしていた。でも学芸員っぽい人が各班について回って解説したり問を投げかけたりしており、いい教育だなと思った。東京の学校に通うとこういうところに平日に来れるのか。すげぇな。

中世の宗教画から始まり印象派、果てはキュビズムシュルレアリスムまでを回遊しながら代表的なものをかいつまんでその違いを理解してもらおうという試みは改めて感心する。宗教画についてあんまり考えてこなかったが、彩度が高く映える絵ばかりね。あとは衣服の色がおおむね単色。縫製技術が未発達で複雑な配色にすることは難しかったんだなという気が見ていてした。いろんな年代の作品をかいつまんで鑑賞できるので、西洋美術教育には最高の場所だと思う。ただ新館の匂いだけはどうにかならんか。エアコンのカビ臭さなのか油画特有の匂いなのか不明だけども、新館に入った途端始終匂いがダメで絵は良かったのに体験として非常に微妙な感じで終えてしまった。悔しい。とはいえ本館は同じようなのにそうでもないからやはりエアコンなのか。

 

絵を見終えて、会社携帯にかかってきた不在着信を確認し折り返し。休みとも言ってないからそりゃお構い無しに連絡は飛んでくる。最近はもう土曜も電話かかってきて狂う。何かがおかしい、政府の陰謀かもしれない。

 

日も暮れる時間になった。近くで働くお友達を誘って夕飯を食べることに。足元軽く助かる。まだ時間があるので一旦ブックオフへ。文庫4つと雑誌2つを購入しターンエンド。『抱擁、あるいはライスには塩を』(江國香織)は何かで読むべきと聞いてから買う気はあったが、なんとなく今じゃないような気がして先延ばしにしていた。また本が増えるが仕方ない。本はなんぼあってもいいですからね。

 

夜。デリーで夕飯。合流前に湯島ハイタウンのパスコショップに寄り、翌日のパンを購入。湯島ハイタウンいいよね。いかにもな集合住宅て感じ。シンスケ近いし下はパスコショップだし、食に困らない。スーパーは遠いかも。

デリーは2回目。意外にも引っ越してから知った店。辛くて美味しい。パリパリのインドせんべいみたいなのも頼んで食べた。ナイルレストランに同じやつの揚げる前のは売ってたな。

ご飯が多くて、いつも食べる前は不安になる。けど食べ始めちゃえばそうでもないんだなこれが。カレーの魔力。牛スジやわらかくておいしかったのでまた食べたいね。とりあえずデリーは近いし全制覇したいかも。また誘おう。

 

解散後、帰宅即就寝。明日は仕事。

(日記ここまで)